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余剰プルトニウムに悩む英国で再処理工場閉鎖へ

変わる世界のプルトニウム政策[2]

竹内敬二 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

 日本は米国などから「プルトニウムを多く持ちすぎている」と指摘され、「どうやって保有量の47トンを減らすか」に頭を悩ませているが、余剰問題のスケールがさらに大きいのが英国だ。いま、使い道が決まらないプルトニウムを約140トンも抱えている。世界一だ。

拡大英国のセラフィールド原子力地区。再処理工場のソープなど多くの施設が集中する=NDA提供
 140トンは再処理工場ソープ(THORP、Thermal Oxide Reprocessing Plant)が抽出した。うち約110トンが自国のもの、21トンは日本のもの。ソープはまさに山盛りの課題を残したまま、今年閉鎖される。1978年の建設決定から閉鎖まで約40年。ソープの歴史を振り返ると、日本、英国を含む世界が、いかに原子力の将来を見誤ったが分かる。

再処理ビジネスをめざしていた1992年

 ロンドンから北へ約500キロ。観光地・湖水地方の近く、アイリッシュ海を臨む高台に「セラフィールド原子力サイト」がある。面積6平方キロの敷地に軍民の原子力施設が密集し、自動小銃をもつ警備員が巡回している。そのセラフィールドでもソープは最大の施設だ。

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 筆者はソープを二度取材した。一度目はほぼ完成した92年1月。内部の核燃料プールには再処理を待つ、日本などの使用済み核燃料が沈められていた。

 ソープは巨大だった。長さは100メートル以上。建設費のかなりの部分を日本が負担したことは有名で、BNFL(英国核燃料公社)のスタッフは「日本の原子力にとって重要な施設」と強調した。

 英国議会がソープの建設を許可した78年に、英国内ではこういう議論がなされた。「英国の原発から出る使用済み核燃料は再処理されるべきか?」「イエス」。「ならば、大きな工場をつくり、余分の能力で外国の分を再処理すべきか?」「イエス」。

 当時、原子力をやろうとする国はこぞって核燃料サイクルに熱い視線を送っていた。将来、大きな再処理需要が生まれるはずだ。英国もフランスも、いち早く再処理受託をビジネスにしようとしたのである。プルトニウム時代はすぐに到来すると思われていた。

 しかし、ソープを取材した92年ごろ、英国の再処理ビジネスへの船出は、すでに揺らいでいた。90年、サッチャー改革の目玉として英国は、国営だった電力部門を民営化・自由化した。しかし、原発の隠れたコストが嫌われ、原発だけが民営化から外された(後に民営化)。92年といえば、政府は不人気になった原子力政策の立て直しに懸命だった。一方、原子力反対派は、その批判を「ソープ反対」のキャンペーンに集中させていた。

 英国は高速増殖炉(FBR)の開発でもつまずいた。スコットランド北部ドーンレイに、FBRの原型炉「PFR」を建設し、76年から運転していた。しかし、87年に大事故を起こし、さらにはFBRに経済性のないことも明らかになったことから、94年に廃炉にした。ソープが運転を始めたのは94年。同じ年に英国は、プルトニウムを燃料とするFBRの開発を断念するという、ちぐはぐさが生まれていた。

2013年、プルトニウムは「お荷物」に

 二度目の取材は2013年の11月。ソープはBNFLではなく、NDA(原子力廃止措置機関)の所属になっていた。核燃サイクルは世界で魅力を失い、再処理で出てくるプルトニウムは「お荷物」になっていた。 ・・・ログインして読む
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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

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