デジタルデータを簡単に改変する技術革新に、私たちの心と体が追いつかない
2018年09月21日
いろいろな情報で世の中が動くのは、昔から変わらない。ただ今新しいのは、やはり偽情報が跋扈していることだ。
また少し歴史的な例だが「南京事件」はどうだろう。少なくとも五千人の捕虜をいっせいに射殺したことは、多数の旧日本兵の証言からも紛れもない事実らしい(日本テレビ、NNNドキュメント『南京事件II』今年5月13日放送、他)。だが「南京事件は無かった」との陰謀説も、ネトウヨを中心に根強い。他方中国側は犠牲者30万人と主張している。これだけ「事実」の振れ幅が大きい例も珍しい。政治的立場へのコミットメント(関与)の深さが「事実」をも変え得るということだ。
偽情報は今、世界情勢を動かしている。2016年米大統領選挙での「フィルターバブル」は、すでに研究対象となっている。政治的立場によって、そもそも接する情報が丸ごとちがう。閉じた情報環境のなかで二極化が進み、自閉し、そして社会の分断が起きる。ソーシャルメディアの偽アカウントから、それを増幅するフェイクニュースが途切れなく流される。「オルタファクト(もうひとつの事実)」や陰謀説が、広く一般に信じられるようになった。ここ一年だけで見ても、そうした情報操作がミャンマーやスリランカで民族紛争を引き起こした(MITテクノロジーレビュー、Will Knight、9月7日)。
このように情報そのものが実体的な効果を持つことを、筆者は「情報実体化」と呼んできた(本欄拙稿『偽情報が「偽」にならない現代ネット社会』、拙著『ブラックボックス化する現代』)。この流れで最近特に目につくのは、なんらかの「証拠」から不正が摘発されたり批判されたりするケースだ。もちろん証拠も情報の一種だが、とりわけ真偽が問題となる。
たとえば、森友学園をめぐる「公文書改ざん」問題。国会での証言が偽証にならないように、財務省の決裁文書が改ざんされた。改ざんは十数件の決裁文書、数百カ所にわたったという(NHKクローズアップ現代)。
文科省の一連の接待汚職でも、密談の音声記録などが証拠となった(TBSニュース、7月25日、他)。スポーツ界も、パワハラ問題でかまびすしい。「言ったもの勝ち」的な側面もあるが、たいていは音声記録などデジタル証拠がモノをいう。実際、豊田真由子元議員のパワハラ問題では、罵声の録音を私たちは幾度も聞かされた。昔は目撃者の証言など「生身の」証拠や、領収書など紙に書かれたものが主な証拠だったが、今やそれらの証拠もデジタル化されている。携帯電話の履歴、監視カメラなどもデジタル証拠の例だが、監視社会化という一面もある。
科学の世界でも、証拠の捏造ははびこっている。ただ小保方問題はじめ(特に分子生物学などでは)、捏造されたデータのほとんどすべてが(顕微鏡写真など)画像データだった。そしてそれに専門の査読者までが騙された。ネット上の言論空間でも、極論を唱える者ほど「写真が何よりの証拠」と譲らないという(香山リカさんインタビュー;朝日デジタル、8月21日)。
ちなみに証拠能力Eは、単純にE=P(F|d)と表現できる。つまり証拠(データ)dが与えられた時、F(元となる世界の事実・法則)が本当である確率P、のことだ。このEの評価が、画像技術の進歩で大きく狂わされた。
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