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未来に向かって扉を開けた本庶佑先生

松永正訓 小児外科医・作家

拡大ノーベル賞受賞決定から一夜明け、京大に到着し、花束を受け取る本庶佑・京大特別教授と妻の滋子さん=10月2日、京都市左京区
 本庶佑先生が今年度のノーベル医学生理学賞を受賞されました。このニュースはテレビの速報として流れ、号外を発行した新聞社もあったようです。人類の幸福に寄与した人に授与されるノーベル賞ですから、これは当然のことでしょう。

 受賞前に本庶佑先生の名前を知っていた人はほとんどいなかったと思います。ですが、医者であるとか、科学者であれば先生の名前を知らない人はいないと言えます。

がんに対する「第4の治療法」を開発

 本庶先生は、免疫の働きにブレーキをかけるPD-1というタンパク質を発見しました。このブレーキを取り除くことで、免疫細胞ががん細胞に攻撃をしかけるようにした訳です。各メディアでも、「免疫療法」というがんに対する「第4の治療法」を開発したと報道されていると思います。

 がんの三大治療と言えば、「外科療法」、「(抗がん剤などの)化学療法」、「放射線療法」ということになります。しかし一般の方は、本庶先生が第4の「免疫療法」を開発したと聞いても、「あれ? 免疫療法って昔からあったのでは?」と思うのではないでしょうか?

 確かにそうです。何十年も前から、これからは「免疫療法」の時代だと言われ続けていました。今の若い人はあまり耳にしないかもしれませんが、昭和の時代には丸山ワクチンという薬ががんに効くか否か大論争になりました。結局現在では丸山ワクチンには抗がん作用がないことが明らかになっていて、がんに対する直接の保険適用はありません。

 しかし今でも熱心な丸山ワクチンの信望者はたくさんいて、有償治験薬という形で患者は入手するころが可能です。私も大学病院に勤務していた頃、小児がんの末期に陥った子の両親から丸山ワクチンを打って欲しいと頼まれたことが何度かあります。

 またアメリカでは、活性化リンパ球療法(LAK=ラック療法)という治療法が臨床試験されたこともあります。1980年代になると免疫を活性化する物質が次々と見つかりました。そのうちの一つがインターロイキン2です。患者から採血によってリンパ球を取り出し、インターロイキン2で増殖させ、がんを攻撃するように活性化させ、それを患者の体内に戻すのです。

 この治療方法も、私は小児がんを治療していた時に、家族からお願いされた経験があります。また、免疫細胞を活性化させる目的として、手術で摘出したがんの塊の一部をもらいたいと言われたこともあります。

なぜ「免疫療法」が保険医療として定着しなかったのか


筆者

松永正訓

松永正訓(まつなが・ただし) 小児外科医・作家

1961年、東京都生まれ。1987年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰(1991年)など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。 『運命の子 トリソミー  短命という定めの男の子を授かった家族の物語』にて2013年、第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです