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カリスマの大風呂敷から生まれたノーベル物理学賞

20年来の友人、ジェラール・ムル氏の「夢を実現する力」を祝福する

高部英明 ドイツ・ヘルムホルツ研究機構上席研究員、大阪大学名誉教授

 第2次世界大戦に参戦する直前の1940年、米国はマサチューセッツ工科大学に放射研究所(Radiation Lab)を設立し、敵を事前に捕らえる強力なレーダー研究を進めた。その成果は海軍の装備に用いられ、日本の航空戦力に壊滅的打撃を与えた。戦後はさらに進歩し、コロンビア大学のチャールズ・タウンズ教授によるレーザー研究へと発展した。

 1960年、ゼネラルモーターズのヒューズ研究所にいたセオドア・メイマン氏がルビー結晶を用いたレーザー実験に成功する。レーザーという20世紀の偉大な発明は、基礎科学から産業応用まで世界を大きく変えた。この原理の発明でタウンズ教授は、当時のソ連の科学者2人とともに、1964年にノーベル物理学賞を受けた。

ノーベル賞の受賞が決まったジェラール・ムル氏(左)とドナ・ストリックランド氏=米物理学会とカナダ・ウォータールー大学のウェブサイトから
 近年、レーザー分野への授賞が続いていた。「21世紀は光の世紀」を合い言葉に、私たちが極限レーザーの生み出す新しい科学に取り組んでいる中、この分野のカリスマとも言うべきジェラール・ムル氏がノーベル物理学賞に輝いた。米国の大学で30年以上前に大学院生だったドナ・ストリックランド氏と共に著したわずか3ページの論文「Compression of amplified chirped optical pulse」が授賞の理由である。

 彼が「カリスマ」であることに、今回の特徴がある。授賞に結びついた1985年の論文は「コロンブスの卵」のような発想によるもので、この論文だけでは賞に値しない。しかしその後、33年間にわたって研究全体をリードしてきた彼のカリスマ性がノーベル賞をもたらしたのだと、彼と21年間のつきあいがある私は感じる。執念に乾杯したい。

発想の幅広さと、夢を信じるタフさ

 ムル氏と初めて会ったのは1997年8月末、イタリアのバレンナで開かれた国際会議でだった。期間中にダイアナ妃の事故死のニュースが飛び込んできた。会議の中心課題は、研究が広がりつつあった超高強度レーザーによる新しい物理。牽引役のムル氏が招待講演を行い、今後の基礎科学として「スティーブン・ホーキング博士が予言したブラックホールからの放射を、レーザー実験で証明したい」と主張した。アインシュタインの等価原理からホーキング輻射を計測できるという。「ホーキング博士にノーベル賞を獲らせたい」とも述べた。当然、参加者は半信半疑だったが、ムル氏はまじめに提案していた。

 実は私はこの会議をきっかけに超高強度レーザーによる反物質の生成に興味を持った。仲介する友人がいて、私は米国のローレンス・リバモア国立研究所が建設したばかりの巨大な超高強度レーザー「ノベット」による光核物理、真空崩壊の実験に関わっていった。この時の共同研究者がトム・カウァン氏であり、彼が15年後にヘルムホルツ研究機構ドレスデン(HZDR)の所長に就任したことが、私がいまドレスデンにいる理由である。

 さて、会議にはレーザー研究の先駆者だった宅間宏先生(故人)も参加していた。宅間先生は私にムル氏を紹介してくださり、二人を晩餐に招待していたミラノ大学の教授宅に私も招かれた。バレンナからの車の中で、ムル氏は他分野へのレーザー応用の可能性を饒舌に語った。「このフェムト秒レーザーは、車のエンジンの燃料噴射ノズルの精密加工に革新をもたらす。車の燃費がそれで数%上がるだけで世界経済に与える影響は計り知れない」という話は、特に印象的だった。ブラックホールから車の燃費まで、発想の幅広さと夢を信じるタフさに感心した。以来、色々な機会に彼と会うたびにその「大風呂敷」が大きくなるのを見てきた。

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