北原秀治(きたはら・しゅうじ) 東京女子医科大学特任准教授(先端工学外科学)
東京女子医科大学大学院医学研究科修了。博士(医学)。ハーバード大学博士研究員を経て現職。専門は基礎医学(人体解剖学、腫瘍病理学)、医療経済学、医療・介護のデジタル化。日本政策学校、ハーバード松下村塾で政治を学び、「政治と科学こそ融合すべき」を信念に活動中。早稲田大学大学院経済学研究科在学中。日本科学振興協会(JAAS)代表理事。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
心のトレーニングでストレスを減らせるという仕組みの解明が進んでいる
タイ北部のタムルアン洞窟で2018年7月10日、閉じ込められていた少年12人とサッカーコーチの計13人のうち、最後の少年4人とコーチが水路を潜り無事脱出した。真っ暗な洞窟内に17日もの間閉じ込められていた13人救出のニュースは、世界中の人々が驚きとともに安堵した。
光がまったくなく、いつ発見されるかも分からない不安、迫り来る水位への恐怖。そんな究極の精神状態で、なぜ取り残された少年たちはしっかりと平常心を保てたのか? 背景には、引率したコーチが習得していた「マインドフルネス」というストレス軽減法があった。コーチは子どものころに修道僧として出家していた経験もあり、少年たちと仏教式の瞑想に取り組むことで平静を保つことができた、と海外メディアなどで報道されている。
日常社会において私たちは、経済的問題や介護問題、教育問題など、家庭内から国家の問題に至るまで膨大な精神的なストレスを抱えている。労働時間や非正規雇用、最近ではブラック企業などを含めて雇用をめぐる環境は問題が山積みだ。依然として日本の自殺率は各国と比較して非常に高く、日常的なストレスの蓄積はクオリティオブライフ(QOL)を下げることが科学的にも証明されている。日常生活において精神的なストレスをいかに軽減させるかが、有意義な人生をおくる上で重要性であることを考えさせられる。
ところが、この厄介な日常的ストレスを軽減する方法には、怪しいものや詐欺まがいのもの、そして効果の無いものも多く、どれが自分にとって最適なのかを探すだけでも非常に労力を有し、むしろ精神的な苦痛を感じる。
一方、欧米ではこのストレス軽減法についての研究と実践が進んでおり、一般にも広く浸透している。その中で最もよく知られている方法の1つが、「マインドフルネス」である。昨今、耳にする機会が増えた言葉だ。ベースにあるのは、タイの洞窟に閉じ込められたサッカーチームのコーチが取り組んだ仏教の瞑想である。
マインドフルネスというアプローチの方法は、精神疾患患者における保健医療サービスが知られているが、それだけでなく社会や福祉、医学教育の分野でも広く提供されはじめている。教育の世界でも注目され、エビデンスに基づくストレス軽減法として認められてきた。日本マインドフルネス学会はこの方法を、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」と説明している。欧米では過去40年以上にわたり、精神療法プログラムにも組み込まれてきた。
現在では大規模な介入研究により、不安感やうつ病、薬物乱用などを含む多数の精神的症状を軽減することが分かり、治療上の有効性が確立されている。また、物事に対する中立的な立場や思いやり、慈しみの心などが心身の健やかさや幸福感に大きく関与してくることが知られている。
世界の主要な医学・生物論文を検索できる「PubMed」で調べると、2018年10月現在で5,743もの関連論文がヒットする。一方、日本の医学研究論文の検索サイト「医学中央雑誌」では、マインドフルネスに関連した原著論文は125件しかなく、世界に比べてまだ認知度は低いことが分かる。
欧米でのこれまでの神経イメージング研究では、脳波やMRIを用いて脳や神経に変化を及ぼすメカニズムの解明が進められてきた。アメリカの研究者が脳の形態変化を詳しく調べたところ、「灰白質の複数の領域において形態的変化があった」と報告している。筆者の専門は解剖学だが、灰白質とは脳や脊髄のなかでもとくに神経細胞が密集している領域であり、人間の恒常性を保つために非常に重要な場所だと考える。注目すべき研究結果と言えるだろう。
また、学習と記憶、感情制御の調節などにかかわる海馬が変化することも確認されており、マインドフルネスによるトレーニングが脳にとって重要であることが科学的に証明された。
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