変わる世界のプルトニウム政策[5]
2018年11月26日
日本原燃は今年10月、六ケ所再処理工場の事業変更許可申請書の補正書を原子力規制委員会に提出した。「安全性確保のため、こういう変更をします」という届け出だが、今回が最後になる見込み。その補正書では、「三沢基地に配備されている戦闘機F35による航空機事故」の評価も含んでいる。
しかし、工場の完成が遅れている間に、プルトニウムをめぐる情勢はがらりと変わり、今は日本が外国から「保有プルトニウムを減らせ」と求められている時代だ。そんな状況で大型の再処理工場を本当に動かすのか。動かすとすればどんな形で。大きく遅れて完成を迎える再処理工場の扱いは難しい。
ドイツの歴史は参考になる。ドイツはかつて日本と同じく、「使用済み燃料の全量再処理による核燃サイクルの実現」をめざしていた。再処理工場、高速増殖炉、MOX工場といったサイクルの施設をすべて自国内につくる政策も同じだった。日独は「原子力における双子」と呼ばれ、80年代には日独の再処理の関係者が毎年交互に両国を訪問するほどの近い関係だった。
しかし、1989年にドイツが再処理工場建設を断念してから、両国の道は大きく分かれ、いまではまるで異なる政策をもつ。ここ30年、ドイツはどう脱原子力に向かったか、ドイツの再処理工場予定地だったバッカースドルフはどうなったのか。
六ケ所再処理工場の完成はすでに約20年遅れている。1994年1月9日付朝日新聞朝刊の連載記事「迷走プルトニウム」では、再処理工場は「総工費8400億円、2000年に運転開始の予定」と書かれている。「総工費2兆円説が昨年秋から関係者の間でささやかれている」とも。それが今や3兆円近くまで膨らんだ。
その記事には東京電力副社長のコメントもでている。「経済性がなければ、電力会社は今の軽水炉を高速増殖炉に切り替えることは絶対にありません」。記事からの25年は、ある意味、このコメントを証明するものになっている。核燃サイクルの経済性の見通しがたたず、日本は実現へ向かうことも、撤退することもできないまま、中途半端な状態で時間を重ねている。
六ケ所再処理工場の「戦闘機の事故の評価」の話から、ドイツでの取材を思い出した。ドイツ南部のチェコ国境近くにある人口5000人の村、バッカースドルフを2013年の9月に訪問した。
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