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赤トンボを激減させた日本の稲作の罪

絶滅が危惧されるアキアカネを蘇らせるには/前編

山口進 自然写真家

 アキアカネの数が減少している。「赤トンボ」と呼ばれて親しまれてきたアカネ属のトンボで、昔は日本のいたるところで普通に見られた。しかし現在、都道府県によってはレッドリストに記載され、絶滅も危惧されている。

アキアカネの現状は

 アキアカネは沖縄、小笠原以外の日本中に分布する。通常、平地の水田や浅い池沼などで6月頃に羽化する。数日間はその周辺で餌を食べながら栄養を蓄積してゆくが、やがて高い山に向かって集団で移動する。

赤トンボの愛称で親しまれてきたアキアカネ(筆者撮影)
 アカネ属の他のトンボも移動することが観察されているが、アキアカネは特に遠距離を移動することで知られる。7〜8月の暑い時期を山の上で暮らし、体が成熟する9月下旬ごろ平地に降りてくる。羽化した直後は麦わら色だった胴体が、この頃になると赤色に変化してくる。

 稲刈りが終わる頃、アキアカネは大集団となって田んぼの周辺を舞い飛び、畦などで交尾する。秋空を覆い尽くすほどに飛び交うアキアカネの大集団が人の目にとまり、秋の風物詩となっていた。

 この時期、秋雨が降ると水田には所々に水たまりができ、アキアカネはそこで産卵を始める。時には道路上の小さな水たまりなどでも産卵する。卵はそのまま泥の中で冬を越し、水田に水が張られる春頃にヤゴが孵化してくる。その後、水中のミジンコや小さな生き物を食べて成長し、6月下旬に水中から稲の茎などに這い上がって羽化する。

 しかし近年、このアキアカネが見られなくなってきた。一体、何が原因なのか。調べを進めるうちに、薬剤の影響との因果関係を研究者の調査から知ることができた。

殺虫剤の普及との相関関係

 アキアカネが減ってきたのはいつ頃からか。石川県立大学の上田哲行教授はこの難問を調査してきた。上田教授が岐阜県や石川県にまたがる白山山系で調べた結果、1998〜99年と2007〜09年とではアキアカネの数が100分の1以下に減っていたという。また全国のトンボ研究家などへのアンケートでは、2000年頃から急激に減少したという印象を持つ人が多いこともわかった。

 減少した原因としては水田の乾田化や中干し、耕作方法の変化などが指摘されたが、2000年ごろから急減していることや、減少の程度に地域差があることなどを考えると、1990年代から普及してきた稲の育苗時に用いられる殺虫剤の影響が考えられた。

 上田教授と共同研究者の実験では、古くから使用されてきたパダン(カルタップ)という殺虫剤では羽化には全く影響がないが、ネオニコチノイド系の殺虫剤では殺虫剤を用いない場合の30%に羽化率が下がり、プリンス(フィブロニル)という殺虫剤では全く羽化が見られないという結果になった。育苗時に使用する殺虫剤の違いが、ヤゴ生存の明暗を分けていたわけだ。

 さらにこの実験結果をもとに都道府県別の殺虫剤流通量とアキアカネ減少の関係を調べると、はっきりとした相関が見られた。つまりアキアカネが減った原因は、育苗用の一部の殺虫剤にあることが判明したのだ。

水田からわき出すヤゴの姿

 ところが、いまもアキアカネが昔と変わらずに乱舞している水田がある。新潟県柏崎市で小規模稲作を営む内山常蔵さん(75)の水田だ。毎年、数え切れないほどのアキアカネが田んぼで羽化する。私はこの4年間ほど内山さんの水田を取材させていただいている。

新潟県柏崎市で小規模稲作を営む内山常蔵さん夫妻(筆者撮影)
 6月末の夕方。水田を見回ると、次々とヤゴが水中から出てきて、60センチほどに成長した稲の茎で羽を伸ばしている姿が見られる。中には羽化したアキアカネの上に何頭ものアキアカネが覆いかぶさる姿もある。その情景は、アキアカネが絶滅の危機にあることを忘れさせるほどだ。

 羽化は翌朝9時ごろまで続き、朝日を浴びる稲の茎に何頭ものアキアカネがぶら下がった。そして太陽が昇ると水田から弱々しく飛び立ってゆく。周りの草を見渡すと、羽がまだ柔らかなアキアカネが朝露を浴びて光り輝いているのが見えた。

 ところが隣接する他の水田を見ても、こうしたアキアカネの羽化は全く見られない。なぜ内山さんの水田だけ、おびただしい数のアキアカネが羽化してくるのだろうか。

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