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現代農法を見直せば、赤トンボはまた空を舞う

絶滅が危惧されるアキアカネを蘇らせるには/後編

山口進 自然写真家

 <承前

 ある年の8月半ば、私は新潟県の刈羽三山のひとつである米山(標高993m)に登った。急傾斜の道を歩き始めて1時間ほどすると、頭上を次々と山頂に向かうアキアカネの群れに出会った。時々、木の枝で休みながら上へ上へと登ってゆく。その群れは明らかに山頂を目指していることがわかる。

真っ赤な大群はどこから?

 そして小さな避難小屋がある頂上の手前で、尋常とは思えない光景に出くわした。8月半ばといえ、山頂は曇ると寒さを感じるほどだったが、雲が切れて太陽が顔を出すと、山頂付近をアキアカネの群れがうねるように舞飛ぶのが見えたのだ。

拡大「赤トンボ」と呼ばれて親しまれるアキアカネ(筆者撮影)
 その数、優に1千は超している。いや1千どころの話ではない。大げさに言えば空が暗くなるほどに舞飛んでいる。すべてアキアカネだ。

 このような様子が日本中の他の山でも観察されている。三重・滋賀県境の御在所岳、石川・岐阜県境の白山、新潟・群馬県境の巻機山、山梨・長野県境の八ヶ岳など全国的に見られる現象だ。おびただしいアキアカネが一体どこからやってくるのかは調査中だが、水田だけが発生源ではなさそうだ。

 アキアカネが群れ飛ぶ水田を育てている新潟県柏崎市の内山常蔵さん(75)は「ため池などの水深がある池からは一切、アキアカネは羽化してこない」という。私もそれには気がついていたが、いまだに確証が得られないでいる。日本はかつて秋の七草が揃い踏みするような草原が広がっていた時代があり、浅い水たまりや池がそこかしこにあったはずだ。アキアカネはこの浅い池で生活史を繰り返していたと私は考えている。

 ところが草地が林に変遷してゆく中で、アキアカネは発生地を失っていった。アキアカネが減りつつあるその時に、人が水田を広げていった。水田は「浅い池」に他ならない。アキアカネにはうってつけの発生地だ。待ってましたとばかりにアキアカネは一気に数を増やしていったのではないか。近代稲作が取り入れられる前は農薬の使用も少なく、刈り取りの時期まで田んぼには水が残っていた。しかも当時は中干しはしなかった。昭和の時代に秋空いっぱいにアキアカネが飛んでいたのはこれらの理由からだろう。

 ところが現代農法が普及するようになり、農薬が使用され、さらに自然の流れとは無関係にマニュアル化された中干しが行われるようになったことにより、再び数を減らしたのではないか。

水田の中干しを遅らせると

 アキアカネが羽化するのを待ってから中干しをする内山さん。その結果、田んぼから湧き出すようにアキアカネが羽化してくるのだが、困る事態も時として起こる。

 羽化は6月下旬だが、梅雨は羽化の前にやってきて、7月半ばまで雨が降りつづく。水田には大量の雨水が供給されるので、羽化後の7月上旬に中干しをしても乾き切れず、いつまでも柔らかいままの土の状態が続くことになる。

拡大田植えをする新潟県柏崎市の内山常蔵さん(筆者撮影)
 この乾き切れない水田が、9月の稲刈り時に問題を起こす。コンバインという大型農機がぬかるんで動かなくなるのだ。稲を刈り取り、モミを選別し、残りの稲わらを細かく細断するコンバインは、重労働の米作りを助ける大きな力だ。しかも高価で、それを傷めたくないのは誰しも同じ。しかし内山さんは、ぬかるみで言うことを聞かないコンバインをだましだまし使っている。アキアカネのためとはいえ、代償は大きい。

 「なぜそこまでしてアキアカネを大切にしているのですか」。私は内山さんに聞いたことがある。 ・・・ログインして読む
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筆者

山口進

山口進(やまぐち・すすむ) 自然写真家

 1948年、三重県生まれ。長崎県で育つ。大学卒業後、電機メーカーのシステムエンジニアを経て、76年に写真家として独立。「ジャポニカ学習帳」の写真を78年から一人で撮り続ける。写真集「五麗蝶譜」で日本蝶類学会江崎賞受賞。ほかに著書「カブトムシ山に帰る」「珍奇な昆虫」など。NHK「ダーウィンが来た!」「ワイルドライフ」の企画・撮影も手がける。山梨県在住。