災害対応を含め、これからの鉄道貨物輸送を改めて考えよう
2018年12月14日
7月上旬の西日本豪雨により、広島、山口両県内のJR山陽線(三原~海田市間、柳井~徳山間)で、線路への土砂の流入や路盤の流出といった被害が発生した。復旧工事により通行可能な区間は徐々に延びていったが、最後まで不通だった三原~白市間が運転再開したのは9月30日だった。ところが、9月29日には台風24号の影響で再び柳井~下松間で土砂の流入が起こった。結局、この区間が10月13日に運転再開するまで、山陽線という関西方面と九州方面とをつなぐ重要な鉄道路線が100日にわたって直通運転できない事態になった。
長距離の旅客は普段から多くが山陽新幹線を利用しているため混乱は少なかったものの、鉄道在来線を使った貨物輸送に支障が出た。そこでJR貨物は、鉄道コンテナをトラックや船による代行輸送で運んだが、標準的な大きさの12フィート(5トン)コンテナのみを取り扱い、また危険物や廃棄物は法令上輸送できなかった。このため、鉄道でないと扱えないものの輸送需要は残り、貨物列車を動かす必要が生じた。そこで取り扱い量が多くないことは織り込み済みで、名古屋貨物ターミナル駅~福岡貨物ターミナル駅間に、山陽線の被災区間を避けて日本海側の山陰線などを通る貨物列車を走らせた。日本列島を縦断する脊梁山地を越える大規模な迂回運転を長期にわたって実施するのは、東日本大震災以来となった。
では、その迂回運転はどのように進められたのだろうか。JR貨物の説明をもとに振り返ってみたい。
まずは迂回ルートの選定が必要だった。山陽線の不通区間を通らずに関西と九州を結ぶには、いったん日本海側に出て山陰線を通るのが当然の選択肢となる。ただ全国のJR関係在来線の営業路線が約2万キロと言われる中で、JR貨物が日常的な貨物輸送にあたる許可を得ているのは、そのうちの約5分の2、約7900キロにすぎない。山陰線は京都~下関間の全線で許可を得ておらず、山陰線を一部なりとも経由して貨物輸送をするには、臨時の許可を得るためにいくつかの準備をしなければならなかった。
実際に選ばれた迂回ルートは、名古屋から東海道線・山陽線を岡山貨物ターミナル駅まで走ってきた下り列車が、その先の倉敷から伯備線に入って山陰線の伯耆大山に至り、そこから米子、浜田を経て益田まで山陰線を通り、益田から山口線に入って山陽線の新山口に出て幡生操車場経由で福岡へ向かうというものだった(上りは逆)。
ルートが決まって実際にJR貨物が迂回運転を始めるにあたり、準備のために最も時間がかかったのは、運転士の訓練だった。山口線と山陰線の一部区間で2015年まで貨物列車を走らせていた実績があり、線路の状況を知る運転士もいたが、山陰線区間の多くは1987年の民営化後に貨物列車を走らせた実績がなかった。運転士が新しい路線を走る場合、正式な乗務の前に一人5回ほど訓練運転をする必要がある。運行ダイヤの関係で、訓練用に走らせられる列車は1日1本に限られたため、必要とされる5人の運転士がJR西日本の運転士から指導を受けながら訓練を終えるには、ほぼ1カ月の期間が必要だった。
機関車の手配もしなければならなかった。山陰線と山口線の非電化区間に貨物列車を走らせるには、大型のディーゼル機関車を用意せねばならず、愛知機関区(愛知県稲沢市)からDD51形式機関車3両を移送して任務に当てた。JR貨物のディーゼル機関車はDD51から新しいDF200形式への置き換えが始まっている。ただし、山陰線ではまだJR西日本がDD51を使用しており、新形式だと様々な確認作業に時間がかかることが予想されたので、今回、余剰となっていたDD51を使えたのはむしろ好都合だったようだ。
国土交通省は、JR貨物が申請した伯耆大山~益田間と益田~新山口間の臨時の事業許可を8月22日に出した。これは即日で認められたのだそうだ。そして、迂回運転の下り一番列車は8月28日夜に
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