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「クジラを食べる」をマグロ食、犬肉食と比べると

商業捕鯨へ転換する日本−−その背景にあるもの

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 昨年末(12月26日)、政府は国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を表明した。そもそも国際司法裁判所(ICJ)が日本の南極海における調査捕鯨の中止を命じたのは5年近く前だが、その時にも本欄に書いた(『調査捕鯨禁止判決で見えた日本の国際オンチぶり(正・続)』)。中止命令に至った経緯と内外の反応に、国際感覚のズレを感じる。タテマエとホンネ、暗黙の了解といった日本特有の合意形成の手法が、世界では通用しないのではないか。それを踏まえて次のように書いた。

 今後の情勢によっては、南極海での調査捕鯨からは潔く撤退すべきだろう。そして市場が求める量だけを、北西太平洋や日本沿岸で(わかりやすく)「商業捕鯨」する。調査捕鯨などという論理をひねり回すのはやめていく。このあたりが妥協線で、これなら「地域の食文化尊重」というスケールに納まって、国際的な賛同も得やすいかも知れない。

 この時すでに「調査捕鯨」路線は欧米主流の支持を得られず、袋小路で行き詰っていた。「沿岸での商業捕鯨へ」という今回のシフトは、むしろ遅きに失した感さえある。だが「調査捕鯨の鯨肉さえ余っている現状で、今さら商業ニーズなんてあるのか。」そういう批判も含めて、今後は不透明だ。

 この問題、外交に資源保護、こころの問題まで入り組んでいる。以下、反捕鯨論の心理的な中身に注目し、マグロ漁、および犬肉食と比較することで論点を解きほぐしてみよう。

IWCの変質〜環境保全から動物愛護へ

拡大マグロ漁規制と似た考えの資源保全論から、犬肉食への反対に近い動物愛護論へと、反捕鯨論はシフトしてきた

 そもそも反捕鯨の論点にはふたつの方向がある。ひとつは生態系の破壊、種の絶滅を危惧する環境保全の立場。もうひとつは動物愛護、端的に言えば「残酷だ」という意見だ。これは「知能が高い、感情や痛みもあるらしい、可愛い」という感覚から来ている。シャチやイルカのショーがもてはやされる文化の延長線上だ。このふたつの意見を比べると、どちらかと言えば前者(生態系のバランス破壊説) が欧米主流の公式見解だった。だが反捕鯨派が「残酷」説を主張し出しており、こころの問題が入ってくるぶん案外厄介かも知れない(と前稿でも書いた)。

拡大IWCは当初、捕鯨国間の調整が目的だった。現在は反捕鯨国が増え、拮抗している

 今回、日本は「IWCの変質」を脱退理由に挙げているが(時事ドットコム、12月26日)、この文脈で読み解ける。つまり「変質」=環境保全から動物愛護への軸足シフトということだ。もともとIWCは「クジラの保存と捕鯨産業の秩序ある発展」を目的に発足した。だがクジラ愛護を唱える反捕鯨国が増加し、捕獲を許さない完全保護に目的が変質した。「ゴールに近づくとゴールが動かされる」と水産庁関係者は嘆く(同)。日本などの巻き返しで、現在は捕鯨支持国と反対国の勢力が拮抗(きっこう)しているが(図参照)、妥協点を見いだせない機能不全に陥っていた。

 (言いにくいが)どうせ日本の調査捕鯨は一面では商業捕鯨の隠れ蓑に過ぎなかったので、「南極の公海からは撤退して沿岸での商業捕鯨、実際の捕獲量はむしろ減る」という方針転換はわかりやすい。

クジラ、マグロ、犬

 捕鯨、マグロ漁、犬肉食。この三者の比較が、こんがらがった問題を解きほぐす上で有効だ。マグロ漁は今のところ表立っては非難されないが、生物資源の枯渇という点で「次の矛先はマグロ」という見通しもある。主に遠洋漁業である点も似ている。ただ、そもそも鯨は哺乳類だがマグロはそうではない。「知能が高いか」でも大きくちがう印象はある。

 また鯨肉を食べることには、欧米人は(一部の捕鯨国を除き)馴染みがない。これに対してマグロはすでに欧米人に広く好まれる食材となり、消費量・商業利益も大きい(toroはすでに英単語だ)。さらに鯨は養殖が不可能、ないしは「ペイしない」のに対して、マグロの養殖はすでに産業化し(「近大マグロ」のように)人工孵化からの完全養殖も可能だ。今後も資源保全の論点からのマグロ漁批判は出ても、動物愛護的な批判は出にくい。

 さて犬肉食はどうか。(日本を含む)アジア圏では古代からあり、現在でも朝鮮半島、中国南部、ベトナムなどで習慣が残る。平昌五輪の時に、街角から犬料理店の看板が(強制的に)消されたのは記憶に新しい。反対論はほぼ「残酷だから」の一点に尽きる。この点で最近の反捕鯨論に近い。実際鯨も犬も哺乳類で、共に「知能が高い」イメージがあることも確かだろう。

 半面、環境・資源保護の問題が全く入ってこない点で、犬肉食問題は捕鯨問題とは違う(図)。生物資源の保全からすれば、飼育牛を市場に出すのはオーケーだが、野生牛(バファロー)の捕獲はノーだ。しかし動物愛護だけから極論すれば同罪だ。もし国際世論がますます動物愛護に傾くとすれば、犬肉食に未来はない。

動物の「知性」を比較すると

 もう一点、指摘しておきたいことがある。同じ動物愛護論でも「殺生は許されない」「知能が高い」「意識がある」「可愛い」、これらの主張は違いに微妙に違う。後に行くほどターゲットは絞られると言えそうだ。 ・・・ログインして読む
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筆者

下條信輔

下條信輔(しもじょう・しんすけ) 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授。認知神経科学者として日米をまたにかけて活躍する。1978年東大文学部心理学科卒、マサチューセッツ工科大学でPh.D.取得。東大教養学部助教授などを経て98年から現職。著書に『サブリミナル・インパクト』(ちくま新書)『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)など。

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