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米沢富美子さん、「物性も科学本流」を体現した人

モノからコトへ――脱・要素還元主義の時代に居合わせた

尾関章 科学ジャーナリスト

 慶応義塾大学名誉教授の物理学者、米沢富美子さんが今月17日、80年の生涯を閉じた。その訃報を受けて私の脳裏に蘇ったのは、30年前の物理学の風景である。

 1980年代後半は物理学の花形、素粒子探究に影が差していた。理論研究はどんどん進むが、その検証が追いつかない。検証には今までにも増して高エネルギーの粒子加速器が必要だが、資金には限度がある。巨大科学の重荷が見えてきた時代だった。

巨大科学から遠く離れて

 物理学界にあって、そんな巨大科学からもっとも遠いところにいたのが米沢さんだ。取り組んでいたのは、アモルファス(非晶質)の理論研究。その仕事ぶりは、どこか軽やかでもあった。

慶応大教授時代の米沢富美子さん=1995年9月、郭允撮影
 私はそのころ、慶大理工学部の米沢教授グループを取材して、朝日新聞科学面に1本の記事を書いた。「結晶化妨げる正二十面体、怪人二十面相 アモルファスの秘密」(1988年7月22日夕刊)――いま記事データベースを開くと、そんな見出しになっている。アモルファスとは、そのころすでに電卓の太陽電池などに使われていた非晶質。固体ではあるが、結晶構造がないものだ。記事で紹介した米沢グループの研究は、コンピューターの数値実験(シミュレーション)で、液体アルゴンを冷やしてアモルファスをつくり、その内部の動きを探ろうというものだった。

 このコンピューター実験でわかったのは、アモルファスという状態がどのようなしくみで保たれているかということだ。液体アルゴンの冷やし方が急だと、そこで動きまわるアルゴン原子は結晶をかたちづくる余裕がなく、あわてて近くの仲間とだけ手を結んで小さな塊をつくった、という。塊は、正二十面体に近いかたち。正二十面体は、いくつも並べたときに空間を埋め尽くせない立体なので、結晶化になじまない。それが、アモルファスを支える黒幕だったのだ。「二十面相」が結晶という秩序に立ちはだかる構図は、劇画のようでもあった。

モノよりコトの新潮流

 この研究には、素粒子物理学とは別方向の知的関心がある。素粒子探究の背中を押しているのは要素還元主義。物質をどこまでも小分けにしていって、その最小単位を見いだそうとする。これに対して、米沢さんたちがコンピューター実験で解き明かそうとしたのは、物質のありようだ。考察しているのも原子そのものではなく、原子同士の関係であり、原子集団のふるまいである。

 原子の集団が全体としては整列しようとしても、それに抗う小集団がところどころに現れ、無秩序な状態がずっと続く――。原子同士の関係を人間関係に置き換えても、あるところまでは話が成り立ちそうではないか。ここでの関心事は原子ではなく、あくまで「関係」のほうにあった。

ユネスコ女性科学賞を受賞し、松浦晃一郎ユネスコ事務局長に祝福される米沢富美子さん=2005年3月、冨永格撮影
 こうした研究は、1980年代半ばに台頭した科学の新しい流れに位置づけられる。モノよりもコトに目を向け、自然界のかたちや現象を大局的にとらえようという志向だ。そこから「フラクタル」「カオス」「複雑系」といった新しい概念が広まっていった。その醍醐味の一つは、同期現象が物理系であれ生物系であれ同じ理論の枠組みでとらえられる、というような分野横断性にあった。

 補足すると、このコンピューター実験で現れた正二十面体は、ただの立体ではない。イスラエルのダニエル・シェヒトマンさんが1980年代半ばにアルミニウム合金で見つけた準結晶が、正二十面体の対称性を具えていたのだ。準結晶とは、原子の並びに結晶のような周期性はないが、構造に対称性がみてとれる固体をいう。正二十面体は、ここでも結晶との相性の悪さを見せつけている。シェヒトマンさんは2011年に「準結晶の発見」でノーベル化学賞を受けた。

新しい物理の真ん中にいた

 米沢さんは1984年、女性科学者に贈られる猿橋賞の受賞者となってから、女性科学者の研究環境や科学者の社会的責任をめぐって盛んに発言していたが、本業の部分でも新しい科学の真ん中にいて存在感を示していたのである。

 さて、米沢さんの専門は「物性物理」と呼ばれる。文系の人には聞きなれない言葉だろう。これにぴったり重なる英語がないので日本特有の表現らしい。

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