モノからコトへ――脱・要素還元主義の時代に居合わせた
2019年01月28日
慶応義塾大学名誉教授の物理学者、米沢富美子さんが今月17日、80年の生涯を閉じた。その訃報を受けて私の脳裏に蘇ったのは、30年前の物理学の風景である。
1980年代後半は物理学の花形、素粒子探究に影が差していた。理論研究はどんどん進むが、その検証が追いつかない。検証には今までにも増して高エネルギーの粒子加速器が必要だが、資金には限度がある。巨大科学の重荷が見えてきた時代だった。
物理学界にあって、そんな巨大科学からもっとも遠いところにいたのが米沢さんだ。取り組んでいたのは、アモルファス(非晶質)の理論研究。その仕事ぶりは、どこか軽やかでもあった。
このコンピューター実験でわかったのは、アモルファスという状態がどのようなしくみで保たれているかということだ。液体アルゴンの冷やし方が急だと、そこで動きまわるアルゴン原子は結晶をかたちづくる余裕がなく、あわてて近くの仲間とだけ手を結んで小さな塊をつくった、という。塊は、正二十面体に近いかたち。正二十面体は、いくつも並べたときに空間を埋め尽くせない立体なので、結晶化になじまない。それが、アモルファスを支える黒幕だったのだ。「二十面相」が結晶という秩序に立ちはだかる構図は、劇画のようでもあった。
この研究には、素粒子物理学とは別方向の知的関心がある。素粒子探究の背中を押しているのは要素還元主義。物質をどこまでも小分けにしていって、その最小単位を見いだそうとする。これに対して、米沢さんたちがコンピューター実験で解き明かそうとしたのは、物質のありようだ。考察しているのも原子そのものではなく、原子同士の関係であり、原子集団のふるまいである。
原子の集団が全体としては整列しようとしても、それに抗う小集団がところどころに現れ、無秩序な状態がずっと続く――。原子同士の関係を人間関係に置き換えても、あるところまでは話が成り立ちそうではないか。ここでの関心事は原子ではなく、あくまで「関係」のほうにあった。
補足すると、このコンピューター実験で現れた正二十面体は、ただの立体ではない。イスラエルのダニエル・シェヒトマンさんが1980年代半ばにアルミニウム合金で見つけた準結晶が、正二十面体の対称性を具えていたのだ。準結晶とは、原子の並びに結晶のような周期性はないが、構造に対称性がみてとれる固体をいう。正二十面体は、ここでも結晶との相性の悪さを見せつけている。シェヒトマンさんは2011年に「準結晶の発見」でノーベル化学賞を受けた。
米沢さんは1984年、女性科学者に贈られる猿橋賞の受賞者となってから、女性科学者の研究環境や科学者の社会的責任をめぐって盛んに発言していたが、本業の部分でも新しい科学の真ん中にいて存在感を示していたのである。
さて、米沢さんの専門は「物性物理」と呼ばれる。文系の人には聞きなれない言葉だろう。これにぴったり重なる英語がないので日本特有の表現らしい。
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