伊藤隆太郎(いとう・りゅうたろう) 朝日新聞記者(西部報道センター)
1964年、北九州市生まれ。1989年、朝日新聞社に入社。筑豊支局、AERA編集部、科学医療部などを経て、2021年から西部報道センター。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
訂正された早野龍五・東京大名誉教授らの論文に潜んでいた矛盾点
福島の放射線被曝をめぐって大きな影響力を持ってきた主要論文に、このほど重大な誤りが見つかった。東京大の早野龍五名誉教授らが執筆した論文シリーズの1本で、「宮崎・早野第2論文」と通称される。誤りは、論文の根幹に関わっている。
WEBRONZAでは当初から早野さんの論文を取り上げ、また黒川さんの問題指摘も公開してきた。論文を載せた学術誌には「査読者」と呼ばれる専門家がいて事前にチェックし、掲載後は多くの人に読まれてきたが、そうした大勢が気づかなかった欠陥を黒川さんは見逃さなかった。一体どんな手法だったのか、具体的に見ていこう。
問題となった第2論文は、早野さんが福島県立医大の宮崎真講師とともに執筆し、国際的な専門誌「ジャーナル・オブ・レディオロジカル・プロテクション」(JRP)に2017年7月に発表した。福島県伊達市の住民が原発事故後につけたガラスバッジと呼ばれる線量計のデータを分析し、生涯の被曝線量などを推計している。その結果、市内の最も汚染された地域に住み続けても「70年間の被曝線量は中央値で18mSvを超えない」と結論づけている。Sv(シーベルト)は被曝の影響の大きさを表す単位で、法令で定められた一般人の線量限度は年間1mSvだ。論文は被曝の少なさを印象づける役割を果たし、「線量限度を70年分足せば70mSVになるから、それより十分に低い」といった解釈も広がったようだ。
では、この論文中の主要なグラフを見てみよう。図1は、論文でFigure6として掲載されている。縦軸が被曝線量で横軸が事故から何カ月後かを示す。赤い文字は除染が行われた時期だ。これを見ると、個人の被曝線量が時間とともに減っていく様子が分かる。
黒川さんは、このグラフをじっと見つめ、「おかしい」と気づいた。これは「箱ひげ図」と呼ばれ、読み方は左図の通り。中央の二つの「箱」は、データを順に並べたときに上から25%〜75%が収まる範囲を示している。箱の中の境界線は中央値だ。また、両側に飛び出した「ひげ」はデータの1%〜99%が収まる範囲で、さらにここに収まらない「外れ値」が、外側に点で打たれる。
黒川さんが注目したのは、この「外れ値」の数だ。図1には汚染度が高い区域における425個のデータが示されているので、ひげの片側には1%分にあたる4点ほどしか外れ値がないはずだ。ところが場所によっては8点もある。「データ集計の誤りに違いない」。黒川さんはそう直感した。
こうしたグラフの元になった個人の被曝線量データは、伊達市から早野さんらに提供された。図2は、論文ではFigure3として掲載されたもので、汚染度が高くて除染作業がされた地域にある世帯の位置を示している。先行して発表された「第1論文」によれば、住民の個人情報を保護するため、住所は「100分の1度」に丸めた緯度と経度で提供されたという。丸の大きさは、この「緯度・軽度データ」にひもづけられた住民の人数に比例している。第1論文ではさらに、被曝線量によって色分けもされている。
黒川さんは、この図を見ても「おかしい」と気づいた。
ポイントは「緯度と経度が1/100度に丸められている」ということ。1/100度とは、距離にすると南北で1.11km、東西なら0.88kmにあたる。つまり、世帯の位置を地図で示すときには、この1.11km × 0.88kmのマス目より細かくはならないはずだ。
左図に、このマス目を地図の一部に重ねてみた。すると、マス目よりもずっと細かい精度で、世帯の位置が示されているのが明らかである。黒川さんは強い疑問を抱いた。「なぜこんな地図が描けるのか」。また伊達市は面積260平方kmなので、市全体を示した地図にあらわれる地点数もせいぜい260個ほどのはずだが、論文中のほかの地図ではずっと多くの地点が打たれている。
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