ムラ社会を脱し、まともな会話のできる社会に
2019年02月21日
最近の「統計不正」に関する議論には、日本が抱える欠陥が集約してあらわれていると感じる。政治家や官僚がやっていることに関して、十分な理由の説明や議論がなされない。どうしてこんなおかしなことが起きているのかと、不思議に思うことがたくさんあるのに、国会や記者会見で、与党も野党もきちんと説明や議論をしない。言葉尻をとらえた些末な応酬ばかりが行われ、本質的な議論が行われない。
我々が最終的に知りたいのは、正しい統計を用いたら、これまで我々が聞かされてきたことが変わるのか、変わらないのか、国の政策は変わるのか、変わらないのかということである。そのためには、国会で、統計に関してしっかり勉強した上で、議論してもらうことが必須である。
筆者はアメリカの大学で仕事をしているが、毎月、定期的に日本に帰ってきている。アメリカが大好きというわけでもないし、日本の社会の方が居心地よい面もあるが、日本に帰ってくるごとに異様に感じることがある。それは、日本の社会では人と人のコミュニケーションが極めて希薄であるということである。
アメリカでは、疑問に感じることがあれば、必ず議論をして解決する。間違ったことを言えば、たとえ上司でも厳しく突っ込まれるので、議論をする前に勉強し、よく考えておくことが必須だ。説明に対して、なぜなのかわからないけど我慢しているということはない。「しょうがない」と放置したり諦めたりすることはない。
日本では「しょうがない」が多すぎる。本来、議論のベースとは、相手を尊敬しながら自分の言葉で意見を述べることだが、そのような習慣がなく、訓練ができていない。日本人は平均的に、自分の考えを明確に伝えることが苦手である。気に入らないと、互いに論じ合うことを避けて、一方的な「ヘイト」になってしまう。
きちんと論理的に議論したら、その議論の内容と決まったことを文書の形で残すことが重要である。他人の発言を尊重し、自分の発言に対して責任を持つという意味でも、文書の形で残すことは大切である。
アメリカでは当たり前のことだが、日本ではそのようなことができていない。決裁文書が関係者の知らないところで改ざんされたりしている。しかも今回の統計問題では、正確であるべき統計調査にまで不正が及ぶという深刻な事態になっている。
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