18歳のメアリー・シェリーが抱いた恐怖は、現在の危機に重なる
2019年02月28日
英国の物理学者であり小説家であったチャールズ・P・スノー(1905−1980)は1959年、「二つの文化と科学革命」を著し、「文科系」と「理科系」という知性の乖離とその異なった二つの集団が脈絡を失ったまま世界を語ることの危険性を指摘した。現在、日本の多くの公立高校では生徒が1年生のときにこれから文科系か理科系のどちらに進むつもりかをアンケートで訊く。次年度の教員配置を策定するためであると同時に、教科書会社から依頼された販売予測の調査でもあるらしい。
文理の乖離が明白でない頃の世界は一体、どのようなものだったのだろう。あの怪奇小説「フランケンシュタイン——あるいは若きプロメテウス」から考えてみたい。
2018年は「フランケンシュタイン——あるいは若きプロメテウス」刊行200周年という記念すべき年だった。何故、この怪奇小説は200年を過ぎた今も人々を魅了し続けるのだろうか。
イタリアの解剖学者ルイージ・ガルバーニ(1737−1798)は上半身を切断除去したカエルの死体を金属製の手すりにぶら下げた。たまたま近くに雷が落ちた時、あるいは死体に2種類の金属が触れた時に限って、死体の足がピクピクと動くことを発見した(1791)。これは生物電気や筋収縮についての画期的な発見であった。これに興味を持ったイタリアの物理学者アレッサンドロ・ボルタ(1745−1827)は1799年、異なった金属を塩水や酸に漬けることで電流が生じることを利用し、電池を発明した。
この電池のお蔭で1831年、マイケル・ファラデー(1791−1867)はモーターや発電機の原型をつくった。ガルバーニの発見とそれに続く一連の発明、発見がなければ、今日の電気文明はなかったかもしれない。現代文明はカエルの痙攣という生物電気現象の発見に依存しているといっても過言でない。
死体に電気を流すと筋収縮が起き、体が動き出す。これを聞いた当時18歳だった英国人少女、メアリー・シェリー(1797−1851)は、将来、電流を使って死者を蘇らせるようになるのではないかと思った。
彼女は、フランケンシュタインという名の若き哲学者/科学者(その頃はまだ科学/科学者という言葉もなく、哲学/哲学者と呼ばれていた。学位名を表す「Ph. D.」の Doctor of Philosophyはここに由来する)が死者の組織を縫い合わせて新しい個体を作り、その体に電流を流して蘇生させることに成功し、その蘇った個体がもたらす様々な事件を描いた怪奇小説「フランケンシュタイン——あるいは若きプロメテウス」を書いた(1818年)。いったい、医学生ではないメアリー・シェリーに生物電気の話がどのようにして伝わったのだろうか。
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