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物理科学雑誌『パリティ』が廃刊へ

同じ物理でも分野が違えばチンプンカンプンの状況を打破してきた30有余年

大槻 義彦 早稲田大学名誉教授

『パリティ』は1985年創刊。1989年9月号は、軽妙なエッセーでファンも多い物理学者リチャード・ファインマンの特集号だった。
 物理科学の最先端の解説をやさしくレビューする『パリティ』は30有余年にわたって発刊されてきましたが、残念ながら2019年5月号(4月25日発売)をもって廃刊とするに至りました。発行部数は公称15000部で、創刊以来、編集長を務めてきた私にとっては誠に残念ですが、ここまでよく続いたものだという思いもあります。半分はアメリカ物理学協会が発行する『PHYSICS TODAY(フィジックス ツデイ)』の翻訳記事、残る半分は日本独自の記事でという編集方針でした。物理学の最前線を広く伝えた意義はもちろんのこと、日本の物理学者たちに「わかりやすく書く」ことの重要性を浸透させたという点でも大いに意義があったと考えています。

物理学会誌の改革を試みたが・・

 物理科学の分野とはたんに素粒子物理学、物性物理学、物理一般物理学、流体プラズマ物理学という純粋物理学のみならず、宇宙天体物理学、応用物理学、地球物理学、生物物理学、医療物理学、化学物理学、物理教育など広い分野をカバーするものです。

 現代の物理科学の分野は19世紀末から急速に、とんでもなく急速に発展してきました。日本物理学会の発表会に出かけても隣の部屋に紛れ込むと、発表の内容はチンプンカンプンでまるで知らない外国の学会にまぎれ込んでしまった感じがしてしまうのです。

 学会誌でもそうです。自分の専門分野はともかく他の専門分野ならさっぱり分からないので、月々送られてくる学会誌は学問記事はそっちのけ、ただエッセイなどを読んで投げ出す始末でした。1980年代初めにこうしたことを嘆いていたのは私だけでなく、後に文部科学大臣を務めた当時の物理学会長有馬朗人氏も同じでした。有馬会長は私を出版担当理事に指名して物理学会誌をもっとやさしくするよう指示しました。

 私は早速、次々と送られて来る原稿を読んで「私はさっぱり分からない。分かるように書いて欲しい」とはねつけました。執筆者は驚いたでしょう。せっかく書いたものを書き直せとは、と。中には「数年前に書いた原稿と同じ程度ではないか。いまさらやさしく書き直せとは何事か」と怒り出す人も出る始末。

 このままでは原稿がなくなり学会誌が出版できなくなる心配も出てきました。やむなく難しい原稿に多少手を加えた程度でお茶を濁す「従来路線」に戻るしかなかったのです。そうこうしているうちに私の理事の任期も切れました。この騒動の背景には

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