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日本の再生医療「早期承認」に世界から批判

厳正な臨床試験もなくスピードと利益を優先し、患者の負担を強いている

川口浩 東京脳神経センター整形外科・脊椎外科部長

 人の命にかかわる医薬品や治療法に対しては、品質や有効性・安全性について、とりわけ慎重で厳格な審査が必要だ。製薬企業が開発した新薬などに対しては、発売前の厳しい承認審査の手続きが定められている。日本では独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」(PMDA)がこの任務を担っている。

 ところが近年、この「慎重で厳格な審査」という基本理念の上に、新たに「スピード」という要請が加わって変質しだした。国際的にも評価の高い日本のiPS細胞研究が大きな契機となって、薬事法が改正され、それまでの医薬品や医療機器とは別に「再生医療等製品」という分類が新設された。そして、この再生医療分野の関連製品を迅速に実用化するため、条件・期限付きの「早期承認制度・先駆け審査指定制度」が創設された。

 厚生労働省は「重篤な疾患に対して医療上の有用性が高い医薬品の早期実用化を目的とする」とうたっているが、その背景には再生医療を経済成長の原動力にしようという国家戦略がある。しかしこの日本の審査制度に対しては、昨今、国際的な批判が相次いでいる。権威ある科学専門誌である「Nature」はこのほど、具体的な問題点を指摘して厳しく批判をする論考を掲載した。患者も学術性も無視した日本の審査姿勢への警告である。

新薬承認をNatureが批判

 Nature誌が俎上に載せたのは、脊髄損傷治療薬「ステミラック注」の承認問題だ。「脊髄損傷に対する世界初の再生医療等製品」をうたい文句にかかげ、ニプロと札幌医大が共同開発した治療法である。

Nature誌が掲載した2本の批判論文
https://www.nature.com/nature/volumes/565/issues/7741
 ステミラック注は、患者の骨髄液から採取した間葉系幹細胞を培養し、静脈注射をして脊髄損傷の改善を図るという、医学的には荒唐無稽とも言えそうな治療法である。整形外科医の間では、その学術的な基盤の乏しさや副作用の危険性から、「承認はありえないだろう」との見方が一般的だった。ところが昨年末、PMDAがこの薬を7年間の期限付きで承認し、世界中の医療現場を驚かせた。

 この承認に対して1月31日付のNature誌は、幹細胞科学や脊髄損傷の専門家10人の意見をもとに具体的な論拠を挙げ、厳しい批判を展開した(Nature掲載の批判1ならびにNature掲載の批判2)。いったい何が問題なのか。Natureの指摘を軸に考えてみる。

投薬の効果を判断できない

 まずNature誌が指摘するのが、試験デザインの問題だ。今回の承認におけるステミラック注の臨床試験には「対照群」がなく、「治療群」の13例しか被験者がいない。そのうち12例でASIA(アメリカ脊髄損傷協会)の機能障害尺度で1段階以上の改善が認められた、としている。Nature誌は、その治験規模があまりに小さいことに加えて、「二重盲検法による無作為化比較臨床試験」(RCT)で実施されていないことを問題視している。

 本来、新しい治療法の有効性をきちんと確かめるためには、患者をランダムに治療群と対照群に分け、比較試験をすることが必須である。これに加えて、患者だけでなく、治療・評価をする医師自身にもこのグループ区別を分からないようにするため、対照群には「プラセボ」と呼ばれる本物そっくりの治療法を施すことによってより厳密に効果を検証するのが、二重盲検法によるRCTである。ところがステミラック注では、RCTどころか対照群も存在しない極めて小規模の試験によって承認され、市場に投入された。

 しかしこのような試験では、患者が治療によって回復したのか、それとも自然に治癒したのか、区別できない。医者の主観的判断によって回復と判断されかねない問題もある。Nature誌は「多くの国では、治療薬の承認前に、何百人もの患者に対するRCTによって厳正な臨床試験を課しているが、日本には再生医療の開発を厳密さを無視して迅速化するプログラムがある」と、日本の制度の特殊性を指摘している。

日本再生医療学会は声明を出したが…

 この批判に対し、日本再生医療学会は先日、声明を出し、「必ずしも全ての製品でRCTが必要ではない」との認識を示した。確かに、対照群としてステミラック注とそっくりのプラセボ治療を施した厳密な「二重盲検RCT」を行うことは倫理的に問題があるかも知れない。しかしながら、プラセボ治療ではなく現状の標準治療をした脊髄損傷患者を対照群として、ランダム化比較試験を行うことは可能である。

 この声明にある「患者数が少ない疾患では、投与群と非投与群を比較し、統計的に有効性を確認するための治験参加者数を揃えることが難しく、莫大な時間を必要とする」という主張はステミラック注の治験には該当しない。日本には脊髄損傷者が既に10万人以上おり、さらに毎年約5000人の新規発生患者がいる。決して希少疾患とは言えない。統計的解析に適合する治療群と対照群の治験参加者数を揃えることに「莫大な時間」は必要としない。

再生医療の早期承認は本当に患者にためか(Romas Photo/Shutterstock)

 事実、ステミラック注の審査報告書において、PMDAは「標準治療を実施した場合の経過に関する比較可能な対照データを取得しておくべきであった」と事後になって指摘している。治験前相談での合意が不十分な状態で申請・承認されたことは明白である。同報告書では苦肉の策で、標準治療を行った過去の海外のデータと比較してその優位性を示しているが、統計学的に解析されていないため説得力がない。この審査報告書は、試験デザインの稚拙さと審査の不合理さを露呈しているに過ぎない。

 臨床試験を担当した札幌医大の医師たちは「点滴翌日、肘や膝が動きだした。24週目にはスキップも出来るようになった」「今までなら100%回復していないと断言できるような患者が回復してきた」などと述べている。Nature誌の取材に対して、神戸の医療イノベーション推進センター長は、「科学と医学の革命となる世界初の承認。医療の新時代の幕開け」と答えている。こうした主観的・扇情的な叙述を繰り返す姿勢は、もはや科学ではないだろう。

 確かに、欧米にも根治療法がない疾病に対する「迅速審査・承認制度」が存在する。しかしその承認基準は、日本と比べものにならないくらいに厳しい。ステミラック注と同様の脊髄損傷に対する再生医療として、米Asterias Biotherapeutics社の「幹細胞の脊髄損傷部への局所注射」(OPC1)がある。22例のうち21例が効果を示し、メカニズムも解明している。しかしこの段階では同社は早期承認を申請せず、次の臨床試験であるRCTの許可を求めた。これこそ「学術性を犠牲にせずに早期承認を目指す」というグローバルスタンダードである

学術論文も無いまま承認され

 またNature誌は、この治療法にサイエンスの基盤がないことを問題視する。「静脈注射によって全身投与された間葉系幹細胞が脊髄の再生に繋がるという仮説自体が、今までのエビデンスに反している」。静脈注射された幹細胞は肺の小血管にトラップされ、損傷した脊髄までは届かないとの指摘だ。「万一、幹細胞が脊髄に届いたとしても、損傷部で新たな神経細胞に分化するという科学的エビデンスは否定的である」とし、むしろ肺塞栓の副作用を懸念する。これに対し、札幌医大の医師たちは「患者自身の細胞であり、拒絶反応や副作用の心配がない」と、論点をすり替えている。

 さらに大きな問題は、この臨床試験が学術論文として公刊されていない状態で承認されたことだ。つまり試験そのものが学術的な審査をパスしていないのである。「これは驚くべきことだ。日本では企業秘密を保護するためと称して、臨床結果が公表されない場合がある」と、Nature誌は批判する。しかも厚労省は、Nature誌の取材に「宣伝に使われるのを防ぐためにデータの公表を抑制している」と述べている。私は、少なくともPMDAが論文化を抑制しているという話を聞いたことがないし、むしろ積極的に推進していると理解している。国民の健康を預かる省庁でこのようなダブルスタンダードが存在するとすれば、大きな問題である。

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