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見えないはずのブラックホールがなぜ見えた?

電波天文学の超絶技術で可能になった長年の夢

平林久 JAXA名誉教授

拡大ブラックホールの撮影成功について発表する国立天文台の本間希樹教授。教授が持っているのは、岩手県の小学生が作ったブラックホールを模した折り紙 =2019年4月10日、東京都千代田区、飯塚晋一撮影
 4月10日、衝撃的なニュースが流れた。いわく、「とうとう、ブラックホールの映像がとらえられた」。ニュース映像の中で街を行く若者がインタビューされて、この話を聞いてコメントする。「えー、なにそれ、、いったい、あはは」。それは大きなミスマッチだった。しかし考えてみれば至極もっともなことだった。このニュースはそれだけ意外でインパクトがあるのだ。普段はブラックホールなんて考えたことがない一般のひとにとって、これは「とうとう幽霊の写真が撮れた」と言われたような驚きと違和感があろう。ところがこの業界の研究者にとっては、胸がヒリヒリする現実問題であった。実は私は12年前に定年を迎えて一線を退いているが、当時はなんとかブラックホールの撮像に向かって進もうと仲間とがんばっていたものである。

どんどん見つかっているブラックホール候補

 そこで、ここでは社会とのミスマッチの分を少しでも埋めようと思う。短時間でしようとすると、話をはしょらなければならないがご勘弁。

 まず、ブラックホール候補がどんどん見つかっていることから始めよう。

 ブラックホールには軽いものととても重いものがある。軽いものといっても太陽の10倍ぐらいの重さで、これは重い星が超新星爆発をしたあとにできるもの。したがって成因は理解されている。かなり確実な証拠があるものだけでも私たちの銀河内で10天体ぐらいある。これは1970年代から、主にX線天文学によって解明が進んできた。日本の研究者たちがおおいに頑張った。

 重いものは太陽の100万倍から1億倍ぐらいのもので、「超巨大ブラックホール」と呼ばれる。今ではこれはほとんどの銀河の中心にあると考えられている。ところがこの重いブラックホールがどうしてできたのかがわかっていない。銀河の中心をとりまくバルジと呼ばれる膨らんだ部分の重さの1000分の1程という値がそろっていることから、銀河ができる過程と関係があるらしい。

 銀河によっては中心部分が異常に明るいものがあるということは電波天文学によって明らかにされてきて、「電波銀河」と呼ばれて次第に中心部分の活動の異様さが知られてきた。これと前後して、星のように見える「クエーサー」と呼ばれる天体が、何億、何十億光年という宇宙論的な距離にある銀河の中心の輝きであることが1963年に光学観測によってわかった。こうして、電波の謎と光の謎とが、共通の大問題となった。

離れた場所にある電波望遠鏡を連動させる画期的技術

 銀河の中心で起こっているとてつもない現象を解明するために、電波望遠鏡は ・・・ログインして読む
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筆者

平林久

平林久(ひらばやし・ひさし) JAXA名誉教授

1943年、長野県生まれ。67年東京大学卒業、72年同大学院(博士)終了。同年より東京大学東京天文台、88年に宇宙科学研究所へ。2007年まで宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所教授。現在、JAXA名誉教授。専門は電波天文学。野辺山電波天文台計画にかかわった。97年打ち上げの電波天文衛星「はるか」を使ったスペースVLBI観測計画(VSOP計画)を実行した。