黒沢大陸(くろさわ・たいりく) 朝日新聞論説委員
証券系シンクタンクを経て、1991年に朝日新聞入社。社会部、科学部で、災害や科学技術、選挙、鉄道、気象庁、内閣府などを担当。編集委員(災害担当)科学医療部長、編集局長補佐などを経て、2021年から現職。著書に『コンビニ断ち 脱スマホ』『「地震予知」の幻想』、編著に「災害大国・迫る危機 日本列島ハザードマップ」。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
大企業から中小企業へ……訪問先の変遷に「ものづくり復権」が見える
4月30日に退位する天皇陛下は、平成の30年余の在位期間中、被災地や福祉施設ばかりではなく、研究所や民間企業の工場にも数多く出かけている。民間企業の視察は、東京近辺の工場のほかにも、地方に出向いたときに現地の工場を訪れることもある。近年は大企業より中小企業を訪問する傾向にあるなど、視察先にも変化が見られ、平成の時代の流れを映し出している。
宮内庁のサイトに「企業ご視察」というリストがある。リストによると、まず1990年(平成2年)に旭硝子の京浜工場と中央研究所を訪れていた。その後、東京電力、花王、日産自動車、石川島播磨重工、日本電気、レナウン、新日本製鉄、凸版印刷、ソニーなどの有名企業が名前を連ねる。業種はさまざまだ。ところが平成10年以降になると、スタック電子、ハリマ産業、三鷹光器、小松ばね工業、池上金型工業、河野製作所といった耳慣れない名前の会社が目立ってくる。
産業分野は多岐にわたっており、このリストにあげられた企業から特徴を探ると、平成の工場見学で顕著な傾向があったのは、産業分野よりも企業の規模だ。平成になってから1998年(平成10年)までは、訪問した15社のうち大企業が14社だったが、2008年(平成20年)までの10年では11社のうち10社が従業員数300人以下の中小企業、2018年(平成30年)までの10年は10社のうち8社が中小企業だった。
では天皇陛下が訪れた中小企業は、何を作っている会社だったのか。例えば、2003年9月18日の朝日新聞夕刊には「天皇陛下は18日朝、東京都昭島市の電信部品製造会社『スタック電子』(田島瑞也社長、従業員89人)の本社工場を視察した」と、1文だけの短い記事が載っている。これだけではよくわからないが、スタック電子は高周波伝送用機器の専門メーカーで、会社のサイトには視察の様子も紹介されていた。アンテナ共用器の試作評価試験、高周波同軸コネクタ・ケーブルの生産ラインなどを視察したという。独自開発の位相器を使用した携帯電話中継基地局用アンテナに「深い関心を示された」ともあった。
このほか、光ファイバーや特殊なレンズを製造する住田光学ガラス(さいたま市)や、精密なバネを作っている小松ばね(東京都大田区)、外科手術用の針や縫合糸の河野製作所(千葉県市川市)など、特化した技術によって独創性の高い製品を作り、大企業に負けない競争力を持っている「ものづくり」の現場だ。
これに対して、初期の訪問先である大企業はどうか。東京電力には2回訪れているが、視察したのは原子力発電所でも発送電の司令塔である総合給電指令所でもない。河川水の熱を使って地域に熱を供給する箱崎熱供給センター(1990年)と、太陽光発電、風力発電、燃料電池発電をテーマとしたTEPCO新エネルギーパーク(95年)だった。91年の日産自動車ではメタノール車や電気自動車、水素自動車を視察した。社会の関心が高まりつつあった新エネルギーに関連した施設だ。
また91年7月に埼玉県鳩山町の日立製作所基礎研究所を訪れたときの日経新聞の記事には「人間と同様に学習する知的能力のあるコンピューター」の研究を視察と書かれている。98年9月には企業間電子商取引機構、電子商取引実証推進協議会を訪れている。現在のAIブームやネットを使った販売の広がりを先取りしている。
訪問先をどう決めるのかを宮内庁に尋ねると、「経済産業省から推薦をいただいたなかから選んでいる」という説明だった。経産省に聞くと、