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「アホウドリ」ならぬ「オキノタユウ」との42年

200羽から5000羽に。「誰もが納得してくれる結果」を導いた研究者が語る

米山正寛 朝日新聞記者(科学医療部)

 絶滅の危機にある大型の海鳥「アホウドリ」(環境省レッドリストで絶滅危惧Ⅱ類に指定)を約40年にわたって見守り続けてきた東邦大学名誉教授の長谷川博さん(70)が、最大の繁殖地である伊豆諸島・鳥島の個体群が推定約5000羽にまで回復したのを機に野外調査からの引退を決めたことを、朝日新聞環境面(4月18日付夕刊)の記事として伝えた。アホウドリという名前を、沖の海にすむ気高い海鳥を意味する「オキノタユウ(沖の大夫)」に改めようという発言も続けている長谷川さんは、ここまで、どんな思いで取り組んできたのだろうか。改めて語ってもらった。

拡大資料を前に笑顔で語る長谷川博さん=筆者撮影
――大学生の頃、鳥の保護活動に取り組んだとか。

 静岡県の山間の小集落で育ち、野外で鳥を見るのが楽しかった。1967年に京都大学農学部へ入学し、初めて買った鳥の本がシジュウカラについて書かれた『鳥類の生活』と、鳥島の気象観測所にいた人が書いた『アホウドリ』だった。それまで山の鳥しか知らなかったので、海の鳥を見ようと大阪湾の干潟に通った。春と秋にシギ・チドリ類が渡りの中継地として立ち寄っていたが、干潟が埋め立てられると鳥の渡りができなくなってしまうと、調査や保護の活動をしている人たちがいた。手伝うことになり、僕は大学紛争の時代で授業がなくて暇だったので、平日に行って観察し、鳥や埋め立て地の変化の様子を報告していた。

――でも学部生の時に学んだのは昆虫学だった。

 鳥を相手にして生活できるとは思わなかったので、農業技術者になろうとして、昆虫の分布と数の変動を扱う個体群生態学を学んだ。増殖率や死亡率などをコントロールして、どんな対策をすれば害虫の数を減らせるのかといった基礎研究だ。そういう訓練を積みながら、増やすにはその逆のことをすれば良いことも分かっていた。大学院では、やはり自分の好きな鳥のことを研究したいと、理学部の動物生態学の研究室に移った。「何を研究しても良いけど、全部自分でやるんだよ」という感じでのびのびできた。あの頃は鳥の研究をする人はいても生態や行動がテーマで、保護をテーマにする人はいなかった。自分も大学院ではキセキレイの繁殖生態を研究したが、いずれはもっと鳥のためになる研究をしたいという思いはあった。

拡大アホウドリの最大の繁殖地である鳥島は、絶海の無人島である
拡大海上を優雅に飛ぶアホウドリ=島と鳥の写真はいずれも、2018年12月、長谷川博さん撮影

――そんな中で73年に、鳥島でアホウドリを調べた直後の英国人学者、ランス・ティッケル博士に会う。

 羽毛採取のための乱獲で絶滅したと思われたアホウドリは、1951年に鳥島の測候所(47年開設)の人によって再発見されたが、65年に鳥島気象観測所(52年改称)が閉鎖されてからは誰も上陸していなかった。大学を訪れたティッケルさんから、24羽のひなを確認してきたという話を聞き、びっくりした。観測所が閉鎖される前のひなは毎年10~11羽だったので、それよりは増えていた。自分の中でアホウドリへの関心が高まり、「初めから一人で研究するのはたいへんだから、一緒に鳥島へ行って教えてあげよう」という声をかけてもらった。ティッケルさんの申請した研究費が得られずに同行することはできなかったが、「日本で繁殖するアホウドリの研究と保護は日本の若者の仕事ではないか」という言葉に、自分だけでも行こうと決意した。

――76年に東京都の漁業調査船に乗せてもらえて鳥島へ行った。

 抱卵期の11月に初めて行った時は、燕崎の斜面にある繁殖地の前で停泊してもらって観察したが、波が高くて上陸はできなかった。翌年3月、東京都の八丈支庁が鳥島を現地調査することになり、その一員として初めて上陸した。 ・・・ログインして読む
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筆者

米山正寛

米山正寛(よねやま・まさひろ) 朝日新聞記者(科学医療部)

朝日新聞科学医療部記者。「科学朝日」や「サイアス」の編集部員、公益財団法人森林文化協会事務局長補佐兼「グリーン・パワー」編集長などを務め、2018年4月から再び朝日新聞の科学記者に。ナチュラリストを夢見ながら、とくに自然史科学と農林水産技術に関心を寄せて取材活動を続けている。

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