公権力や美術市場に挑戦する現代アートのアクチュアリティ
2019年05月20日
少し前になるが、「東京都がバンクシー(?)の作品(?)を公開(?)」というニュースがあった(東京都報道発表、4月19日)。三つの「?」マークは筆者が付けた。見方によってはかなり奇妙で滑稽なニュースであり、背景には二重、三重にねじくれた現代アートと体制側との間の緊張関係があるからだ。
バンクシー(Banksy)といえば、英国を拠点に活動する覆面作家だ。現代アーティストであると同時に、公共物破壊の常習犯であり政治活動家でもある。世界各地の壁や扉などにメッセージ性の強い作品を描くことで知られている(ウイキペディア他)。
防潮壁の扉を管理する都は「本物だった場合は保全の必要がある」として、絵が描かれている金属板を取り外し、都内の倉庫で保管していた。専門家は「バンクシーの作品である可能性が高い」と見ているが、現時点で真贋ははっきりしない。またインスタグラムでバンクシーのアカウントに問い合わせているが、返事はないという。ただ「ぜひ見たい」という都民からの要望が多いため、都としても管理した上で「一般公開」に踏み切ったという経緯らしい(THE PAGE、4月25日)。
高名なアーティストの作品なら違法でもよくて、無名の不良の落書きは取り締まる、ということか。メディアの批判もこの点に集中している。ただ本稿の関心は、都の姿勢をただすことにはない。それよりも広く、現代アートと美術品業界や社会制度との間の、緊張した関係に注意を向けてみたい。
バンクシーをめぐっては、最近では2018年10月にロンドンで行われたオークションが世界的に話題になった。自身の作品「風船と少女」が約1億5000万円で落札されると同時に、あらかじめ内部に仕掛けていた電動式のシュレッダーを作動させ、絵画を裁断してみせた。筆者もニュース映像で見ていたが、オークションの参加者や関係者らの驚愕の表情が忘れられない。
シュレッダーの仕掛けが見つかるだけでも(実際に作動しなくても)、コンセプチュアル・アート(後述)としてのインパクトは十分だったはずだ。それでも、さらにメカをきちんと作動させて、本当に自作を裁断してみせたのはさすが(?)だった。そのメッセージは明らかで、自作が「美術作品」として高値で取引されることに抗議したのだ。人気が出てからもずっと覆面で、落書きとして作品を発表し続けてきた姿勢を考えればわかる。
バンクシーのこうした創作意図や、現代アートを巡る状況を踏まえると、「作品」として高値で取引することはもちろん、真贋を問うこと自体がすでに半ば矛盾しているかも知れない。その点を深く理解するには、まず現代アートの「文脈依存性」を理解しなければならない。やはりマルセル・デュシャンから説き起こすのがよいだろう。
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