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バンクシーなら落書きがなぜ許されるか?

公権力や美術市場に挑戦する現代アートのアクチュアリティ

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 少し前になるが、「東京都がバンクシー(?)の作品(?)を公開(?)」というニュースがあった(東京都報道発表、4月19日)。三つの「?」マークは筆者が付けた。見方によってはかなり奇妙で滑稽なニュースであり、背景には二重、三重にねじくれた現代アートと体制側との間の緊張関係があるからだ。

バンクシー作品の可能性があるネズミの絵を公開した東京都の小池百合子知事=2019年4月25日、東京都新宿区の都庁、長島一浩撮影
 発端は昨年末だった。東京・港区の防潮壁の扉に落書きがあり、都民から「バンクシーの作品ではないか」と通報があった。傘を差したネズミの絵は、過激な現代作家バンクシーのトレードマークのような図案に確かにそっくりだった。

 バンクシー(Banksy)といえば、英国を拠点に活動する覆面作家だ。現代アーティストであると同時に、公共物破壊の常習犯であり政治活動家でもある。世界各地の壁や扉などにメッセージ性の強い作品を描くことで知られている(ウイキペディア他)。

都の態度は、もちろん矛盾している、が

 防潮壁の扉を管理する都は「本物だった場合は保全の必要がある」として、絵が描かれている金属板を取り外し、都内の倉庫で保管していた。専門家は「バンクシーの作品である可能性が高い」と見ているが、現時点で真贋ははっきりしない。またインスタグラムでバンクシーのアカウントに問い合わせているが、返事はないという。ただ「ぜひ見たい」という都民からの要望が多いため、都としても管理した上で「一般公開」に踏み切ったという経緯らしい(THE PAGE、4月25日)。

東京都庁で公開されたバンクシー作品の可能性があるネズミの絵=2019年4月25日、長島一浩撮影
 都のこの態度は、いくつもの矛盾が折り重なっている。そもそもバンクシーの真作かどうか、まだわかっていない(冒頭の一つ目の「?」マーク)。それに、そもそも真贋に関わらず、これは違法な落書きに他ならない(二つ目の「?」)。さらに、はじめから公共の目に晒されている落書きを勝手に「作品」と呼んで「囲い込み」、その上で「公開する」って、どういう権利なのか(三つ目の「?」)等々だ。

 高名なアーティストの作品なら違法でもよくて、無名の不良の落書きは取り締まる、ということか。メディアの批判もこの点に集中している。ただ本稿の関心は、都の姿勢をただすことにはない。それよりも広く、現代アートと美術品業界や社会制度との間の、緊張した関係に注意を向けてみたい。

バンクシーは何に挑戦してきたのか

 バンクシーをめぐっては、最近では2018年10月にロンドンで行われたオークションが世界的に話題になった。自身の作品「風船と少女」が約1億5000万円で落札されると同時に、あらかじめ内部に仕掛けていた電動式のシュレッダーを作動させ、絵画を裁断してみせた。筆者もニュース映像で見ていたが、オークションの参加者や関係者らの驚愕の表情が忘れられない。

 シュレッダーの仕掛けが見つかるだけでも(実際に作動しなくても)、コンセプチュアル・アート(後述)としてのインパクトは十分だったはずだ。それでも、さらにメカをきちんと作動させて、本当に自作を裁断してみせたのはさすが(?)だった。そのメッセージは明らかで、自作が「美術作品」として高値で取引されることに抗議したのだ。人気が出てからもずっと覆面で、落書きとして作品を発表し続けてきた姿勢を考えればわかる。

 バンクシーのこうした創作意図や、現代アートを巡る状況を踏まえると、「作品」として高値で取引することはもちろん、真贋を問うこと自体がすでに半ば矛盾しているかも知れない。その点を深く理解するには、まず現代アートの「文脈依存性」を理解しなければならない。やはりマルセル・デュシャンから説き起こすのがよいだろう。

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