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自死した2人のオーバードクターと私の分かれ道

大学院は出たけれど——博士の就職難は「自己責任」か?

粥川準二 県立広島大学准教授(社会学)

 私事で恐縮だが、筆者は今年4月に転職し、大学で教員として働いている。正確な肩書きは「県立広島大学 経営情報学部 兼 新大学設置準備センター 准教授」ということになる。前者で社会学を教えながら、後者で「大学をつくること」が仕事だ。教員とはいうものの、労力の比率は後者のほうがずっと高い。もちろん研究者でもある。

 これまで非常勤講師として複数の大学で教えつつ、フリーランスのライターをしてきたが、20数年ぶりに正規の職に就いた。「粥川さんはフリーランスであることにこだわって仕事を続けていて…」といわれることがあるのだが、若い頃はともかくとして、ある時期以降は大学の専任教員になることをずっと希望していた。やっとその希望が実現したと思ったら、人ごととはとても思えないニュースが飛び込んできた。

 筆者と同じく、専任の研究者になることを願っていた女性が自殺した、というニュースだ。

ある仏教研究者の死

 より正確にいうと、「自殺していた」というニュースである。『朝日新聞デジタル』4月10日付などによると、すでに2016年2月2日に自殺していたNさんは1972年生まれで、享年43歳。筆者よりも3歳ほど若い。大学で日本思想を学び、仏教の研究で2004年に博士号を取得したという。1969年生まれの筆者は30代で大学院に入学し、2010年に博士号を取得したので、Nさんの学位取得は、取得した年齢でも、取得した時期でも、筆者よりもずっと早い。

拡大「朝日新聞」4月18日朝刊から
 この報道は「オーバードクター」や元オーバードクターたちに衝撃を与えた。オーバードクターとは、定義が曖昧な言葉であるが、博士の学位を取得しながらも定職に就いていない者などのことをいう。「高学歴ワーキングプア」と呼ばれることもある。こうした大学院生の就職難のことを「オーバードクター問題」という。筆者も今年3月まではオーバードクターといってもよい境遇だった。よく似た言葉に「ポスドク」もあるが、こちらは任期付きの博士研究員を指す。本稿では混乱を避けるためにオーバードクターで通す。

 Nさんは2005年、日本学術振興会の特別研究員に選ばれ、研究奨励金と呼ばれるお金を毎月受け取るようになった。2008年には著作を出版。2009年には栄誉ある賞を2つも受賞した。Nさんはオーバードクターといっても、筆者とは比べようがないほど優秀な研究者だったようだ。

 しかしNさんは、特別研究員の任期が切れてからは、研究費を非常勤講師やアルバイトで稼ぐようになったという。生活費は同居していた両親を頼っていたようだ。筆者の独身時代よりはマシだったかもしれない。筆者は2013年に結婚してからは、生活費の一部を妻に頼ったこともあるので似たようなものだ。

 Nさんは2014年、ネットで知り合った男性と結婚した。しかしその結婚は失敗に終わり、離婚届を出したその日の夜に自殺したという。

 『朝日新聞デジタル』がこの記事を配信すると、自殺の原因は、専任になれなかったことなど研究者としての苦境ではなく、結婚生活の失敗ではないか、という意見が散見された。たしかに朝日の記事は、研究者としてのNさんの苦境や、「博士漂流」問題、つまりオーバードクター問題に焦点をあてていた。

 だが、自殺の理由・原因は1つなのだろうか。研究者としての苦境と結婚生活の失敗、その両方が重ならずどちらか1つだけだったら、自ら死を選ぶことだけは避けられたかもしれない。もちろん、これも推測に過ぎないが。

大学院を中退した男性は…

 この記事やネット上での議論を読んで、筆者が思い出したのは、自殺と思われるもう1つの事件だった。2018年9月8日、福岡市にある九州大学の大学院生たちが使う部屋で、すでに大学院を中退した男性Kさんが放火自殺したとされる件だ。Kさんも1972年生まれで享年46歳。Nさんと同年齢だ。 ・・・ログインして読む
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筆者

粥川準二

粥川準二(かゆかわ・じゅんじ) 県立広島大学准教授(社会学)

1969年生まれ、愛知県出身。フリーランスのサイエンスライターや大学非常勤講師を経て、2019年4月より現職。著書『バイオ化する社会』『ゲノム編集と細胞政治の誕生』(ともに青土社)など。共訳書『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、山口剛ほか訳、早川書房)など。監修書『曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民』(アドリアナ・ペトリーナ著、森本麻衣子ほか訳、人文書院)。

 

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