半世紀前に石炭から脱皮した蘭企業DSM幹部に、企業が変わるコツを聞く
2019年06月24日
2015年のパリ協定採択から世界は「脱炭素」に動いている。パリ協定の目標である「世界の平均気温の上昇を産業革命前から2度未満」を実現するには、CO2排出量が多い石炭火力発電を真っ先にやめる必要があることは、世界の共通認識になっている。だが、日本は世界の動きに逆行するように、いまだに石炭火力の新設計画を数多く推し進めている。
なぜ、日本は脱石炭に踏み切れないのか。
オランダの国策の石炭採掘会社として設立され、化学会社を経て、健康、栄養、持続可能な暮らしにかかわる事業を展開するグローバル企業へと転換したRoyal DSMの経営会議ボードメンバーで、欧州化学工業連盟理事のディミトリ・ドゥ・フリーズ(Dimitri de Vreeze)氏に、企業が変わるコツを聞いた。
Royal DSMは1902年、オランダ南部リンブルフ州の石炭採掘を目的に、オランダ政府によって設立された。DSMの名称は、Nederlandse Staatsmijnenの英訳(Dutch State Mines)による。DSMの多角化は1919年にコークス炉ガスを利用した肥料事業に参入したことに始まり、1945年以降はバルク・ケミカルと石油化学製品への多角化が加速された。1973年に最後の鉱山が閉鎖され、DSMは化学企業となった。1990年代からは汎用(はんよう)化学製品事業のほぼすべてを売却、食品や栄養補助食品、飼料、パーソナルケアおよびアロマ、医療機器、モビリティーなどの分野でビジネスソリューションを提供するグローバル企業へと様変わりした。関連会社を含めた年間の純売上高は約100億ユーロで、社員数は約2万3000人。
――元々炭鉱から始まったDSMですが、化学会社を経て、現在は健康、栄養、持続可能な暮らしにかかわる事業を展開する企業へと大きく変化しました。どうやって変わることができたのでしょうか。
ドゥ・フリーズ 化学企業への移行では、炭鉱の技術が生かされました。その後、化学業界が統合され、化学製品を開発するには大規模化が必要になりました。中規模の会社だったDSMは、何十億ドルもの資本を支出しなければなりませんでしたが、それでも十分な大きさとは言えません。我々は、化学業界の統合よりはるかに前から、特殊な製品に移行する必要があると考えていました。差別化を図るためです。そのため、ポリエチレンプラスチック事業などを売却し、数十億ドルを投資することで、特殊な材料や栄養・健康事業へと動いたのです。
これから10年後、15年後の世界はどのように見えているのでしょう? もはや会社の中だけの損益では成り立たないと思います。地球規模の貢献、人々の貢献、それに経済的利益を加えた、全体的な損益があるのだと思います。すべての事業を見渡して、明日ではなく、5~10年先を考えて、どの事業に未来があるのかを考えています。
私たちはSDGs(持続可能な開発計画)によるダブルチェックも行いました。SDGsは、国連による素晴らしい仕事であり、世界のための戦略であると思います。温暖化防止のパリ協定と合わせ、私たちは栄養と健康、気候、エネルギー、資源循環の分野で、ビジネスを成長させるつもりです。5年、10年先を見据えて、リスクを負ってビジネスを構築する場所を決めます。正しい選択をしていけば、私たちは将来も事業を続けていけるでしょう。
――炭鉱国だったオランダですが、いち早く石炭採掘から脱却しました。石炭火力発電も、2030年までにゼロにする方針を決めています。ドイツも2038年までに中止すると決めたのに、日本は炭鉱もないのに中止を決められません。石炭火力発電所の新設も目白押しです。
ドゥ・フリーズ オランダが新しい世界に向けて、とてもスマートで、素晴らしい戦略を描いていたと思われるかもしれません。でも、それは真実ではありません。
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