メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

アポロ着陸から50年 月探査の変容

冷戦時代に夢を与え、国際化時代に科学を発展させた

山内正敏 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員

 アポロ11号で人類が地球外の天体に足を踏み入れて50年になる。いや、もう50年も経ってしまったというのが正しいだろうか?

拡大50年前、人類が月に残した第1歩(NASA)
 夏休み2日目の月曜朝、NHKをつけっぱなしにしていたものの、いかにも降下途中であるかのような点滅をしている説明図を画面左側に固定させたまま、時折国際電話らしき音声が入る中、同じ解説を何度も繰り返すばかりで、ニュース冒頭を聞き損ねた我が家は、結局何が起こっているのか状況がつかめなかったのを覚えている。今のように「月に着陸しました」とか「このあと月面に出る予定です」とかのテロップを映像に流す技術が無かった時代の昔話だが、それでも未だに覚えているほどの強烈な出来事だった。

 アポロの数日前に旧ソ連が月の石だけでも先に持ち帰ろうと、無人のサンプルリターン機ルナ15号を打ち上げ、最終的に着陸に失敗したのも、月着陸が人類にとっての重大なイベントであることをリアルタイムに示していた。

数カ月おきに月へ飛んだ時代の終焉

 まさに月の時代だったのである。着陸だけでも、アポロ計画の有人着陸6回(1969〜72年)と、同じく米国サーベイヤー計画の無人軟着陸5回(1966〜68年)、旧ソ連ルナ計画の無人軟着陸7回(1966〜76年)と、わずか10年の間に計18回も成功し、それだけで火星を上回る着陸回数を誇る。しかも、その際の科学データは、未だに月表面近くの環境に関する「最新のデータ」として各種研究で引用され続けている。

拡大月着陸船から降りる乗組員(NASA)
 ちょうど、日本が人工衛星打ち上げに挑戦していた時期と重なり、3度目の失敗をした1967年春は、アポロ1号が地上試験で人身事故を起こした直後だった。しかし、4度目の挑戦が政治的理由で出来ないうちに、アポロ7号が初めて人を乗せ、8号が月を周回し、9号で着陸船を宇宙空間で実験し、10号が着陸に向けてのリハーサルを完了して、11号の月面着陸に至った。当時、米国のアポロと旧ソ連のソユーズがどんどん打ち上がっていったのとは対照的に、日本の衛星がいつまでも上がらないのを子供心に歯がゆく思ったものだ。

 しかし、そこで月着陸はいったん途切れてしまったのである。3年後にアポロ計画が終わるや、有人ミッションは宇宙ステーションのみが実践され、無人ミッションですら、その中心は火星を中心に広く分散し、ルナ計画以降、月が脚光を浴びることはなかった。もちろん、10年以上のブランクというのは太陽系ミッションでは当たり前のことだ。しかし、月に関してみると、あれだけ米ソが競い合って数カ月おきに宇宙船を飛ばしていたのに、それが突然終わってしまった感が強い。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

山内正敏

山内正敏(やまうち・まさとし) 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員

スウェーデン国立スペース物理研究所研究員。1983年京都大学理学部卒、アラスカ大学地球物理研究所に留学、博士号取得。地球や惑星のプラズマ・電磁気現象(測定と解析)が専門。2001年にギランバレー症候群を発病し1年間入院。03年から仕事に復帰、現在もリハビリを続けながら9割程度の勤務をこなしている。キルナ市在住。

山内正敏の記事

もっと見る