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アポロ着陸から50年 月探査の変容

冷戦時代に夢を与え、国際化時代に科学を発展させた

山内正敏 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員

拡大アポロ11号で月に到達した3人の宇宙飛行士(NASA)

 その後の空白は長かった。理由は、当時の観測技術にある。カメラ等のリモートセンシング技術も、採集物を現場で解析する技術も未熟で、科学ミッションといえば現場探査、特に大気や電離層、その上の宇宙空間を調べるのが主流だったからだ。

 しかし月には大気が無い。しかも常に同じ面を地球に向けているが故に、潮汐摩擦がほとんどない。潮汐摩擦とは主星から感じる重力が衛星内部の各地点によって異なるために生まれる摩擦のことで、木星の衛星イオや土星の衛星エンセラダスなどに活火山が見られる主な原因でもある。これが月にはないので、探査可能な地下の活動も期待できない。太陽系探査の主流から外さざるをえないのだ。例外がサンプルリターンだが、それもアポロ計画やルナ計画で十分に採集されて「その次」に続かなかった。

科学目標として再出発した月探査

 結局のところ、月の科学観測は、アポロ計画やルナ計画の付随だったのだ。人々の夢のための探査、時として国威発揚や国際協力のシンボルとなる探査は、純粋な科学探査より遥かに予算が通りやすい。その極端なものが有人ミッションだ。それは科学者から見ると金食い虫で、おそらく宇宙機関からみても金食い虫だ。しかし人類に夢と娯楽を与えるという意味では、それほどの大金ではない。娯楽産業の市場規模と基礎科学の予算規模が桁違いなことが示す通りであり、同じ土俵で意義を語ってはいけないのである。むしろ夢ミッションに乗っかれるからこそ望外の観測まで可能になる。

拡大月の北極(上)と南喬(下)での氷の分布。インドの探査機「チャンドラヤーン1号」による(NASA)

 逆にいえば、純粋な科学ミッションは、巨額の予算に見合う内容でなければ通りにくい。その意味で、月が純粋に科学の対象として認められるのに20年以上もかかった。それが米国の月探査機「クレメンタイン」(1994年)であり、「ルナープロスペクター」(1998年)だ。特に後者は、急速に発展したリモートセンシング技術で、月表面の性質を月全体にわたって調査して、その後の月科学を牽引した。しかし、いずれも着陸無しの周回ミッションで、大発見もなく、度重なる火星着陸ミッションや巨大惑星ミッションに比べて地味といえよう。

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筆者

山内正敏

山内正敏(やまうち・まさとし) 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員

スウェーデン国立スペース物理研究所研究員。1983年京都大学理学部卒、アラスカ大学地球物理研究所に留学、博士号取得。地球や惑星のプラズマ・電磁気現象(測定と解析)が専門。2001年にギランバレー症候群を発病し1年間入院。03年から仕事に復帰、現在もリハビリを続けながら9割程度の勤務をこなしている。キルナ市在住。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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