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鯨となると、なぜここまで「科学的」になるのか

捕鯨の主張で聞こえてくるのは資源の話ばかり、エコロジーの視点が抜けている

尾関章 科学ジャーナリスト

 クジラの話となると、政府発表が「科学」のてんこ盛りになる。去年暮れの国際捕鯨委員会(IWC)脱退表明がそうだった。今年7月の商業捕鯨再開にあたってもそうだ。捕鯨活動が国際世論の批判を浴びるなか、ひたすら「科学」を盾にその正当性を主張している。

「科学」「科学」……を連発 

 私は、日本が捕鯨問題で諸外国と渡りあうことを悪いことだとは思わない。クジラを獲るという行為は、核兵器をもつことの是非とは違って大いに議論の余地がある。ただ、だからこそ言うのだが、相手に譲歩を迫るなら噛みあう議論をすべきだ。ところが、反捕鯨国との対峙の仕方は空回りしているように見える。「科学」の連発に相手が動じている気配はない。

拡大商業捕鯨を再開した「日新丸」から水揚げされたニタリクジラの生肉=8月1日、小玉重隆撮影
拡大商業捕鯨再開後、初めて大阪市内の店頭に並んだ鯨肉=7月8日午前、水野義則撮影

 ではまず、IWC脱退と商業捕鯨再開を宣言した去年12月26日の官房長官談話を首相官邸の公式サイトに入って読んでみよう。ここでは、まず日本政府の「科学的根拠に基づいて水産資源を持続的に利用する」という基本姿勢を改めて表明、IWCが1982年に商業捕鯨のモラトリアム(一時中断)を決めてからも「持続可能な商業捕鯨の実施を目指して、三十年以上にわたり、収集した科学的データを基に誠意をもって対話を進め、解決策を模索してきました」と強調している。

 IWCは1948年にクジラ類の適切な保護と捕鯨産業の秩序ある発展をめざして設立された国際機関だ。この談話は、それなのにIWCは「保護」を重んじて「持続的利用」に不寛容な国々の声に押され、モラトリアムの見直しを怠ってきた――ということも訴えている。

拡大南氷洋で商業捕鯨の母船上で解体されるナガスクジラ=1973年2月9日 、金井三喜雄撮影
 次に、商業捕鯨再開にあたって、水産庁が今年7月1日付で発表した報道資料も見てみよう。ここでは今回の商業捕鯨操業海域となる日本の領海と排他的経済水域(EEZ)の年間捕鯨枠(捕鯨可能量)をはじき出している。ここでも強調されるのが、この計算が、IWCが開発・採択した「科学的算出方法」にもとづいているということだ。基準は、捕獲を「推定資源量の1%以下」にとどめること。これなら100年獲りつづけても「資源に悪影響を与えない」という。ミンククジラを例にとれば、北西太平洋の資源量は20513頭と推計されるが、日本の商業捕鯨の年間枠は171頭(0.8%)とする。

反捕鯨は、動物の権利保護

 こうみてくると、日本の捕鯨は「資源」の持続的利用という観点に立てば十分に「科学的」であるように思える。では、なぜここまで孤立してしまったのか。私見を述べれば、国際世論の反捕鯨圧力は「資源」論の枠を超えたところにあるからだと思う。

 欧米では反捕鯨の機運が1970年前後から高まった。その背景には、生態系の保全を重んじるエコロジー思想の台頭がある。そのころ、 ・・・ログインして読む
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筆者

尾関章

尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト

1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。1週1冊のブログ「本読みby chance」を開設中。

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