現代社会を特徴づける「薄めた情動の大量消費」
2019年08月16日
「感動を売る」会社が増えている。
CMや広告を見ても、会社のホームページを開いても、世は感動だらけだ。ほかにも「夢」を売る会社や、「希望」「癒し」「やすらぎ」「安心」などいろいろある。「情動系企業」と勝手に名付けさせてもらうが、はじめはITや映像系で起業した会社に多かった。しかし最近は広告メディアからTV、保険業、健康機器メーカーや製造業など、大企業にまで蔓延している。最初のうちはさすがに恥ずかしいのでおそるおそる、それが今や大手を振ってという構図だ。
感動は本来、偶発的な出会いに基づくもののはずだ。計画して量産して、売り上げを予測したりできるものなのか。仮にできても、それは本物の「感動」とは違うのではないか。そもそも個人の感情の領域に、(あえていえば実存の領域に、)臆面もなく土足で踏み込むのか。筆者が古い人間なだけかも知れないが、これが最近までの筆者の率直な思いだった。
だが最近、自分でも信じられないことに、考えが変わった。「(感動だって)売買できる」方に、いやいやながら傾いている。そのきっかけは動物行動学の知見に思い至ったことだ。
動物では、情動行動が特定の刺激によって解発(トリガー)される。たとえばイトヨという魚では、オスの赤い腹のディスプレーが、メスの性行動のトリガーとなる。オオカミのオス同士はメスを争って死闘するが、一方が横たわって腹を見せる「降参」の仕草をすると、攻撃行動がストップする。またある鳥にとって鷹は天敵だが、その鷹の剥製の内部にスピーカーを仕掛ける。そのスピーカーから鳥の雛の泣き声を聞かせると、母鳥は(視覚的には)天敵の剥製であるにもかかわらず、それを抱き込んでしまう。つまりこの場合は雛の声がトリガーになっていて、いったん母性行動のスイッチが入ると、体が抵抗できない。
こうした動物における情動行動の解発と、ヒトの情動反応とはむろん異なる。しかしたとえば、火災や地震などにおける群衆のパニック行動や、神経系の進化などを見ても、ヒトの情動行動の起源は、動物の情動解発メカニズムにあると考えてよい。
さてこれを「感動の売買?」に当てはめると、どうなるか。
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