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深刻さを増す豚コレラ、拡大は防げるか?

殺処分の背景に「感染防止ワクチンが使えない」複雑な事情

唐木英明 東京大学名誉教授、公益財団法人「食の安全・安心財団」理事長

 二つの豚の伝染病が日本の養豚業に大きな打撃を与えようとしている。豚コレラとアフリカ豚コレラだ。名前は似ているが全く別のウイルスによる豚の病気であり、ともに日本にはなかった。

 アフリカ豚コレラはその名の通りアフリカ生まれで、ウイルスはヨーロッパから中国、そして東南アジアに広がり、日本にもいつ上陸するかわからない。他方、豚コレラウイルスはすでに日本に上陸して岐阜県で広がり、愛知県など周辺各県に拡大している。ここでは緊急の課題である豚コレラの状況について解説する。

海外からの観光客が感染源か

 近隣のロシア、中国、モンゴル、韓国に豚コレラはあったが、日本になかった。ところが2018年9月7日、岐阜市の養豚場から死亡する豚が増加しているという届出があり、検査の結果、豚コレラと判定された。養豚場で飼育されていた546頭の豚はすべて殺処分された。詳しい調査の結果、遅くとも1カ月前の8月上旬には感染が始まっていたことが分かった。

豚コレラが確認された養豚場での豚の殺処分作業=2019年2月6日、愛知県豊田市、戸村登撮影
 今回の豚コレラは弱毒性で食欲不振などの軽い症状が続き、死亡までの期間が長かったため、感染に気付くのが遅れたのだ。そして、その間に多くの豚に感染が広がった。感染症には共通する特徴だが、強毒性より弱毒性の方が恐ろしい場合がある。強毒性であれば感染を広げる前に感染動物が死亡してしまうのだが、弱毒性の場合には発見が難しく、症状が悪化して死亡するまでに周囲へ感染を広げてしまうからだ。今回はまさにそのような例であり、発見の遅れはその後も続いた。

 その後、養豚場の近隣で死亡したイノシシを検査したところ、次々と感染が見つかった。岐阜市では2015年度に27頭、16年度に6頭、17年度に7頭、18年度は8月までに23頭のイノシシが死亡しているのが見つかっている。豚コレラの検査はしていないので正確な死因は不明だが、その何頭かは豚コレラの可能性が高い。感染豚から見つかったウイルスは中国やモンゴルのものと同じであった。このことは、ウイルスが旅行客によって運ばれた可能性を示している。

豚コレラウイルス(迫田義博・北海道大教授提供)
 ウイルスが豚からイノシシに感染したとは考えられず、最初にイノシシが感染し、これが豚に感染したと考えられる。その経路としては①感染したイノシシが養豚場にやってきて豚が感染した②ネズミやキツネやハエがウイルスを養豚場に運んだ③イノシシの生息域を歩いた人やトラックにウイルスが付着して養豚場に運んだ、などの可能性が考えられている。メディア関係者がイノシシの生息地と養豚場を行き来して取材していたことを非難する声もあった。

 このような経緯から推測されるのは、おそらく2018年初めかそれ以前に、海外からの観光客が持参した豚肉入りの弁当に豚コレラウイルスが付着していたため、捨てられた食べ残しを夜に現れたイノシシが食べて感染し、他のイノシシに広がっていった。そしてイノシシから養豚場の豚に感染したのだ。

止まらない感染拡大と、取りうる対策

 その後、2カ月間は何も起こらず、感染は終わったと思われたのだが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。11月16日に岐阜市、12月5日に美濃加茂市、12月15日に可児市、12月25日に関市、翌19年の1月29日に各務原市と、相次いで岐阜県内で感染が見つかり、1万頭以上の豚が処分された。そして2月6日以後は県境を越えて大養豚地帯である愛知県に広がった。7月24日には再び県境を越えて三重県、そして7月29日には福井県まで感染が拡大。8月23日までに岐阜、愛知、三重、福井の養豚場で感染が発生し、感染した豚が長野、滋賀、大阪に運搬されて、12万頭以上が処分された。また、岐阜、愛知、三重、福井、長野、富山、石川の7県で感染したイノシシが確認されている。

 豚コレラウイルスは豚とイノシシに感染するが、人には感染しない。だから、もし感染豚の肉を食べても人にリスクはない。感染した豚は食欲がなくなり、ぐったりして座ったままになる。続いて便秘や下痢、結膜炎など様々な症状が起こり、早ければ10日、遅い場合には30日くらいで死亡するのだが、今回は死亡までに長い時間がかかっている。初期の症状は他の病気と紛らわしく、見分けられないこともある。ウイルスは唾液や糞尿中に排泄され、これに接触すると感染するのだが、感染力は強い。

 豚コレラは治療法がないので、その対策は新たな感染を起こさないことしかない。そのための第1の方策は、少しでも早く感染した豚を発見して、その飼育農場に同居する豚を全て殺処分することで外へのウイルスの拡散を防ぐことだ。第2は、人間や野生動物などがウイルスを運ばないように消毒を徹底することである。国は「豚コレラに関する特定家畜伝染病防疫指針」に基づいて、感染が見つかった農場のすべての豚の殺処分と焼埋却、発生農場から半径3km以内の豚の移動制限、防疫措置の実施、移動制限区域内の農場について感染の有無の検査、発生農場周辺の消毒、感染経路等の究明などの対策を実施した。

野生イノシシにワクチン投与

 しかしこれは感染源がその飼育施設に限られている場合だ。今回の感染源は農場の外で暮らす野生のイノシシと考えられる。そこで、イノシシから豚への感染を防ぐために、イノシシの侵入を防ぐ防護柵を養豚場周囲に設置すること、そしてイノシシにワクチンを投与してイノシシが感染しないようにする対策も実施された。

イノシシにワクチンを食べさせる方法の講習=2019年3月13日、岐阜県美濃市、山野拓郎撮影
 ワクチンはえさに混ぜて、他の動物に食べられないように山間地に掘った穴に入れる。これは特殊なえさなので、ワクチンえさによりイノシシの豚コレラ対策を行った経験を持つドイツで作られたものを輸入した。イノシシがこれを掘り出して食べると抗体ができてウイルスに感染しなくなる。

 ワクチンえさの設置は平成31年3月に岐阜県と愛知県で始まり、富山、石川、福井、長野、静岡、三重、滋賀県でも実施されている。えさの設置はイノシシの感染がなくなるまで、少なくとも1~2年は続ける必要がある。5月の時点で農水省はワクチンえさによりイノシシの抗体が増加したことを確認し、一定の効果があったと発表した。しかしワクチンえさの設置場所は限られているのに比べて、イノシシの行動半径は広いため、感染を完全に抑え込めるのか疑問視されている。

なぜ豚にはワクチン接種しないか?

 「なぜ豚にワクチンを投与しないのか?」。これはだれもが持つ疑問だ。その答えは、かつて日本がワクチン投与により豚コレラを克服した歴史にある。1887(明治20)年末、海外から北海道に豚コレラが侵入し、国内に広がって大きな被害をもたらした。1969(昭和44)年にワクチンが開発され、大変な費用をかけてこれを8割以上の豚に接種した結果、感染は激減した。そして1992年に熊本県で発生した豚コレラが日本で最後になった。

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