メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

沖縄国際大学に米軍ヘリ墜落から15年

求められる対等な日米関係の構築

桜井国俊 沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人

 今日は8月13日。宜野湾市の沖縄国際大学(沖国大)に米軍大型ヘリCH53Dが墜落してから15年になる。当時、筆者は沖縄大学の学長職を務めており、沖縄県内の大学の学長が急遽集まり、日米両国政府に緊急の抗議声明を出したことを昨日のことのように覚えている。

拡大15年前、米軍ヘリが墜落して黒く焼け焦げる沖縄国際大の校舎=2004年8月13日、沖縄県宜野湾市提供
 墜落直後、隣の普天間基地から海兵隊員が大挙して大学構内に押し入り、学長以下の大学関係者、地元警察・消防などを排除して、機体から始まり蒸発したストロンチウム90で汚染されたと思われる土壌まで一切合財が米軍によって勝手に持ち出された。

 そのときに筆者がすぐに想起したのは、1968年6月2日の九州大学の大型計算機センターに米空軍ファントムが墜落した事故であった。当時、全国の大学で学生たちが声をあげていたまさにその時に起きた事故だ。計算機センターは抗議する学生たちに占拠され、翌1969年1月5日に何者かによって引きずり降ろされるまで7カ月間、残骸は手つかずであった。

 この対照的な差は一体何だろう。筆者が抱いた最大の疑問はこれだった。

許せない政府・メディアの対応

 沖縄県民の怒りはまず、占領者意識を丸出しにした米軍に向けられたが、日本政府とメディアの対応も許せないものだった。ボリビアに出張中だった稲嶺恵一知事は予定を繰り上げて帰国し、18日に小泉純一郎首相へ面会を求めたが、「夏休みに入った」として会うこともできなかった。

拡大1968年6月2日夜、福岡市の九州大学構内に建設中の大型計算機センターに、米軍のファントム偵察機が墜落して炎上した。
拡大九州大への米軍機墜落では広範な基地反対運動が起きた=1968年6月3日、福岡市役所前の市民集会

 普天間基地の地元の伊波洋一宜野湾市長も同様であった。またメディアもこの間、アテネオリンピック関係の報道を最優先し、米軍が日本で事実上「治外法権」を行使し、日本政府がそれに対して何の対応もしていないという日本の現在と未来に極めて重要な意味を持つこの事件をほとんど取り上げなかった。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

桜井国俊

桜井国俊(さくらい・くにとし) 沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人

1943年生まれ。東京大学卒。工学博士。WHO、JICAなどでながらく途上国の環境問題に取り組む。20年以上にわたって、青年海外協力隊の環境隊員の育成にかかわる。2000年から沖縄暮らし。沖縄大学元学長。

桜井国俊の記事

もっと見る