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「飛び恥」には社会の再設計が欠かせない

飛行機なしでワーク・ライフ・バランスをどう保つか、という難題もある

尾関章 科学ジャーナリスト

 ネットを開くと、「飛び恥」という言葉を目にするようになった。これは、スウェーデン語の“flygskam”(フリュグスカム)に由来する。直訳すれば「飛ぶのは恥」という意味らしい。弱冠16歳の環境保護運動家グレタ・トゥンベリさんが飛行機に乗らず、ヨットで大西洋を渡ったことで世界中に広まった。地球温暖化を引き起こす二酸化炭素(CO₂)を余計に出さないため、化石燃料大量消費の空の旅をできる限り控える、という決意が込められている。

拡大ヨットで大西洋を横断し、米ニューヨークに着いたグレタ・トゥンベリさん=8月28日、藤原学思撮影
 「飛ぶのは恥」が「飛び恥」になったのは、もちろん人気ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」→愛称「逃げ恥」をなぞっている。で、本稿で考えてみたいのも、飛ぶのは恥だが、まさに「役に立つ」という一点についてだ。

運動家は夜行に乗ってやって来た

 その前に、元欧州駐在の科学記者としてひとこと証言すると、「飛び恥」運動は今に始まったことではない。1995年、国連気候変動枠組み条約の第1回締約国会議(COP1)がドイツのベルリンで開かれたときのことだ。国際環境保護NGO(非政府組織)のメンバーを見かけると、眠そうな顔をしている。理由をそれとなく尋ねると、メンバーの多くが夜行列車でやって来たばかりだから、ということだった。居住地からベルリンまでの移動に空路を可能な限り避け、陸路を選んでいたのである。この締約国会議(COP)は、国際社会が地球の脱温暖化をめざして議論を交わす舞台だ。京都議定書もパリ協定も、この会議から生まれた。その原点とも言えるCOP1に、すでに「飛び恥」の精神は宿っていたのである。

 もう一つ、環境保護運動家の「飛び恥」精神の強さに驚かされた記憶が私にはある。やはり90年代半ば、欧州大陸の大都市の街角で顔なじみの国際環境保護NGOの運動家と、ばったり出会った。お互いに「どこへ行くのか」という話になって、彼は「空港へ」と答えた後、あわてて「急いで行かなきゃならない会議があるから」とつけ加えた。その弁解めいた口調には「飛び恥」の心理が働いていたように思う。

 上記二つの体験について、私はすでに新聞のコラムに書いたことがある。12年前の朝日新聞夕刊コラム「窓・論説委員室から」で、「エコの作法」という見出しを立てた(朝日新聞2007年7月11日付夕刊)。そこで言いたかったのは、こういうことだ。

拡大筆者が体験をつづった記事
 CO₂を出すこと、即『悪』と決めつけてはならない。そもそも生き物は、CO₂を吐き出して生きているのだ。やっていけないのは、過度に排出して大気中の濃度を高め、温室効果を引き起こすことだ。だから「なるべく出さない」という心がけが求められる――。飛行機に乗るのを罪とまでは言うまい、ただ「なるべく」乗らないという習慣を現代人の作法の一つとしたい。そこらあたりに社会の合意点があるように私には思えた。

環境派の単身生活はつらいよ

 だが、欧州の世論はもっと急進的になっていく。今回、ネットで英文メディアの報道を漁っていて、それをうかがわせる騒ぎが数年前に起こっていたことを知った。英紙ガーディアンは ・・・ログインして読む
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筆者

尾関章

尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト

1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。1週1冊のブログ「本読みby chance」を開設中。

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