浅井文和(あさい・ふみかず) 日本医学ジャーナリスト協会会長
日本医学ジャーナリスト協会会長。日本専門医機構理事。医学文筆家。1983年に朝日新聞入社。1990年から科学記者、編集委員として医学、医療、バイオテクノロジー、医薬品・医療機器開発、科学技術政策などを担当。2017年1月退社。退社後、東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻修了。公衆衛生学修士(専門職)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
医学生理学賞で「低酸素応答」が今年受賞したわけは…
先週はじめ、論座でノーベル医学生理学賞の予想記事を公開した。
「細胞の低酸素応答の仕組みの発見」で、米国ジョンズホプキンズ大学のグレッグ・セメンザ氏、英国オックスフォード大学のピーター・ラトクリフ氏、米国ハーバード大学のウィリアム・ケーリン氏が受賞する可能性が高いと大胆に予想した。
10月7日、予想通り、この3人にノーベル医学生理学賞が贈られると発表された。
なぜ予想が的中したのか。種明かしをしたい。
朝日新聞で科学・医療担当として医学生理学賞を27年間見てきた経験をもとに、受賞者予想の五つの視点を紹介する。
まず、低酸素応答が有力と判断した理由として昨年の反省から始めたい。
一昨年の論座記事で「がん免疫治療薬の新しい道を切り開いた」業績が有力と書いた。昨年、この業績で米国テキサス大学MDアンダーソンがんセンターのジェームズ・アリソン氏と京都大学の本庶佑氏がノーベル医学生理学賞を受賞した。
本庶氏には大変失礼ながら私は「アリソン氏の単独受賞」と予想していた。
ノーベル賞への登竜門と言われる米国のラスカー賞やカナダのガードナー国際賞はアリソン氏の単独受賞だった。しかし、ノーベル賞は本庶氏との共同受賞になった。
ノーベル賞の発表文では肺がん患者などに広く使われているがん治療薬オプジーボの開発につながった本庶氏の貢献を高く評価していた。ノーベル賞は患者の治療に役立つ貢献を重く見て受賞者を選んでいると感じた。
2015年には北里大学の大村智氏がノーベル賞を受賞した。寄生虫病治療薬の開発という患者に役立つ貢献が評価された。
これも恥ずかしい話だが、私は大村氏の可能性はそれほど高くないと思っていた。受賞理由を読んでノーベル賞はこういう貢献に注目しているのだと納得した。
今年の受賞理由は「細胞がどのように酸素量を感知し適応するかの発見」だ。3人の研究によって低酸素応答のしくみがわかった。
細胞内が低酸素の時には低酸素誘導因子(HIF)の構成要素のひとつHIFαが核の中に入って赤血球を増やすなど多様な遺伝子を働かせる。酸素が正常な時にはHIFαにプロリン水酸化酵素が働いて最終的にHIFαは分解される。
この研究成果をもとに新薬が開発され、患者の治療に結びつきつつある。
腎臓が悪くて透析を受けている患者の腎性貧血の治療薬として、赤血球を増やすように働きかける低酸素誘導因子プロリン水酸化酵素阻害薬(HIF-PH阻害薬)が9月20日、日本で国の製造販売承認を受けた。同様のしくみで承認申請中の薬もあり、次々と腎性貧血の新薬が登場しそうだ。
ここまで到達すれば患者に役立つ業績としてノーベル賞に値するだろうと私は思った。受賞者予想の第一の視点として「患者に役立つ研究を評価」を挙げたい。
第二の視点として、誰でも「有力候補リストを作ることができる」という点だ。
実のところ医学生理学賞は化学賞や物理学賞に比べると、科学記者にとって受賞者を予想しやすい賞だ。
2002年の化学賞に輝いた島津製作所の田中耕一氏。当時、田中氏の氏名が発表されても私は「どこの誰なの?」という状態で困惑の極みだった。まったくの想定外。おそらく他の新聞社でも同様だったと思う。
それに比べて医学生理学賞に関しては「この人の名前を聞いたことがない」「いったい何の研究者かわからない」というサプライズはほとんどない。