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続・驚いてホッとした2019年ノーベル物理学賞

物理的宇宙論の理論モデルの確立に大きな貢献をしたピーブルズ

須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)

 本稿の前編の冒頭で、ピーブルズという名前を聞いて驚いたと述べた。誤解なきようお断りしておくと、彼がノーベル賞に値する立派な宇宙論研究者であることに異論があるはずもない。ただし、今回、宇宙論と系外惑星というかなり異なる2つの分野が授賞対象となった点に違和感が残るのも確かだ。無責任な個人的想像をするならば、系外惑星分野に3人目がいない以上、異なる分野の一人を加えて3人としてはどうだろう、という話だったのかもしれない(むろん何も根拠はない)。

 宇宙分野のノーベル賞を理論研究者が受賞する場合、観測的発見あるいは検証をした観測研究者とともに受賞するケースが多い。宇宙論分野では、1990年代以降に可能となった衛星による宇宙マイクロ波背景輻射(CMB)の天球地図データが、理論モデルを精密化する上で大きな貢献をした。

ジェームス・ピーブルズ(プリンストン大学のサイトから)
 この衛星とは、COBE、WMAP、 Planckの3つのCMB専用探査機である。最初のCOBEの業績に対しては、すでにジョン・マザーとジョージ・スムートが2006年ノーベル物理学賞を受賞している。Planckは2009年に打ち上げられたばかりで、2011年にはまだ最終成果は発表されていなかった。そのため、2011年時点では、WMAP衛星を率いた3名(2名は観測研究者。スパーゲルは理論家であるが、データ解析チームの中心人物)をノーベル賞候補者だと予想としたわけだ。3名という制限がある以上、そこに直接WMAPに関与していない理論家を追加する余地はないと考えたのである。しかし逆に言えば、宇宙論の理論研究者を1名だけ選ぶという前提条件を課せば、ピーブルズという選択も十分あり得る。

標準宇宙論の確立に大きな貢献をした巨人

 ピーブルズは、標準宇宙論の理論的枠組みの確立に大きな貢献を果たした巨人の一人に間違いない。1965年のCMB発見の前後から一貫して、ビッグバン宇宙での重要な基礎物理過程を理論的に考察・定式化してきた。特にCMBの温度非等方性を理論的に予言し、その観測可能性をいち早く論じた先駆的な研究が今回の受賞理由書では強調されている。

Planckが観測したCMBの全天画像(ESA/Planck Collaboration)
 その後も、宇宙初期に存在した極めて小さな振幅の密度ゆらぎ(空間的な密度の非一様性)が、膨張宇宙のなかで重力的に成長し、現在のような銀河空間分布(宇宙の大構造)に至る、構造形成の標準的描像の構築に大きく寄与した。物理法則に立脚して宇宙の進化を定量的に記述し、その観測的検証可能性を論じるのが彼の特徴的スタイルである。

 今回の受賞理由にある「物理的宇宙論」(physical cosmology)とはこの方法論をさしている。今やこのスタイルは当たり前となっているが、それを定着させた一人がピーブルズであり、1972年に出版された彼の教科書''Physical Cosmology”のタイトルそのものである。

 さらに、宇宙の構造進化に関する彼自身の一連の研究成果を中心にまとめられた''The Large-scale Structure of the Universe’’が1980年に出版され、宇宙の構造形成研究者のバイブルと言えるほど標準的な教科書となった。私もまた、大学院生時代に読んだこの本をきっかけとして、観測的宇宙論の研究を志した一人である。

Planck探査機によるCMB温度ゆらぎの観測値(誤差棒付きの点)と、ダークマターと宇宙定数を仮定する標準宇宙モデルの予言(薄緑色の領域)は、驚くほど良く一致する
 ピーブルズは、宇宙の大構造を説明するためには、通常の物質だけでは不十分で、重力は及ぼすものの光では見えない物質、すなわちダークマターが不可欠であることを早くから認識していた。さらに、保守的な傾向の強い天文学者には当初ほとんど受け入れられていなかった宇宙定数(あるいはダークエネルギー)も積極的に支持し、それを検証する方法を提唱した。今や、ダークマターと宇宙定数が現在の宇宙の主成分であることは確立しており、天文学と素粒子物理学をつなぐ重要なミッシングリンクだと理解されている。

ロシアのグループも大きな貢献をした

 ただし、1960年代から1980年代末ごろまで、ヤーコフ・ゼルドビッチ(故人)率いるロシアのグループもまた、数多くの独創的な研究を行い、物理的宇宙論の理論モデルの確立に大きな貢献をしたことは強調しておくべきだろう。特に、今回の主な受賞対象の一つとされているCMBの非等方性に関するピーブルズの研究(Peebles and Yu, Astrophys.J., 162, 815, 1970)に関しては、ゼルドビッチとその弟子であったラシード・スニャーエフが同時期に同じく優れた結果を発表している(Sunyaev and Zel’dovich, Astrophys.Space Sci., 7, 3, 1970; これは彼らが1969年に発表したロシア語原論文の英訳版である)。

 ノーベル財団がまとめた受賞理由書にも、

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