膨れ上がる経費、環境破壊、競技の不公平性、ナショナリズム……曲がり角の祭典
2019年10月24日
オリンピック・パラリンピックが来夏に迫り、気分も盛り上がりつつある。だからこそこのタイミングで、あえて疑問を提起しておきたい。
今回の五輪招致で安倍首相は、福島第一の事故後について「コントロールできている」「汚染は0.3平方km以内にブロック」「過去も現在も未来も、絶対に安全」などと胸を張った。筆者は二重の意味で奇異に感じた。
汚染レベルは(世界の原発の実情と比べて)高くないとか、健康に影響はない、とする議論は一理ある。だがならば何故、最初から巨額の金を使ってタンク貯蔵などせず、海に流せなかったのか。先の安倍発言は少なくとも積極的な隠蔽だ。単純に、なぜ五輪誘致の場でこんな嘘をつく必要があるのかと思ったのは、筆者だけではないはずだ。
さてこの首相発言を奇異に思った理由は、もうひとつある。それは福島の事故がオリンピックとあまりにも無関係なので、唐突だと感じられたことだ。だが後で述べるように、まさに「強引に結びつける」点にこそ、狙いがあった。
五輪誘致の最大のメリットは経済効果だ。五輪を錦の御旗に開発・整備を強引に進め、内需の刺激・景気の高揚を図る。このモデルは1964年東京では一応成功を収め、大阪万博(1970年)、札幌冬季五輪(1972年)に踏襲された。しかし先進国間で2回目の五輪を廻すようになってからは「もはやペイしない」。今回も経費総額は膨れ上がって3兆円を超えると言われる。
その上2020東京は、誘致がダーティだった。国内ではJOC竹田恒和会長の退任でうやむやにされたが、フランスでは電通の提携企業に贈賄の容疑が及ぶなど、国際的にはほぼクロの扱いだ。
経済的に冒険できず、過去の成功例にすがる。日本人特有のメンタリティだ。景気低迷の予感に焦って、60−70年代の成功神話に今頃しがみついている。性懲りもなく2回目の大阪万博まで誘致したが(2025年)、肝心の経済面ですら、長期には負の効果が疑われる。
また先進国優位・競技の不公平性などオリにもともと内在した問題が、パラでいっそう鮮明になった。しかも今後はむしろパラが主体になる。「政治正義」の御旗があるので、パラは安心して応援しやすい一面もある(本欄『パラリンピックにみる未来身体』)。だが今感じるのは、パラが無条件でもてはやされることへの薄気味悪さだ。 「薄気味悪さ」の中身はいろいろある。
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