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「失礼」と「すみません」で知る日英の研究手法

英国の研究スタイルは日本と対極的、だからこそ共同研究に大きな可能性

廣畑 貴文 英国ヨーク大学教授

 同じ島国として親近感を持たれる日英であるが、研究への取り組み方などに大きな違いがある。どちらが優れているというものではないが、エクスキューズ・ミーとアイム・ソーリーという単純な表現を通じて違いを見ていこう。今後ますますグローバル化する世界で共同研究を進める上で参考になる点もあると思う。

1350年ごろからの街並みが残る英国ヨーク中心部のシャンブルズ通り。古くは精肉業者が集まっており、肉が傷まないように日陰を増やすような建て方が残っている=shutterstock.com

英国人を追い越すとき、あなたなら何と言う?

 日本人は「アイム・ソーリー」と謝ってばかりである、という話をよく耳にする。筆者は英国暮らしが十数年になるが、最初の数年はその通りだった。仮にあなたが英国の狭い裏路地で傘を差しながら急いでいたとしよう。あなたの先を英国人の一団が小雨に濡れながらゆっくり散策しているとする(英国人はよほどの大雨でない限り傘を差さない。高い山脈がない英国では雲が上空を速やかに移動するので、天気が目まぐるしく変わるためである)。あなたは彼らを追い越そうとする際になんと声を掛けるだろうか?

 おそらくほとんどの方が「エクスキューズ・ミー」と思ったはずである。しかし、とっさの場面ではなかなかこの言葉が出てこないものなのだ。これは日本では「すみません」と断りを入れる習慣のためではないかと思われる。日本語の「失礼します」はこういう場面であまり使われない。「すみません」と言うつもりで、つい「アイム・ソーリー」が口に出る。

 このような違いは運転マナーでも現れる。日本では車線変更する場合には、ウィンカーを出して相手車線の車列が途切れるのを待つのが一般的ではないだろうか。それに対し英国では、ウィンカーを出したら(一部はウィンカーすら出さないこともあるが)すぐに狭い隙間でも車線変更してくることが多い。割り込まれる側も譲ることがほとんどである。かなり強引な割り込みでも許容するのが英国人の嗜みであるようだ。

 つまり、英国においては「エクスキューズ・ミー」という言葉がある種の免罪符のように用いられて、許容されることを前提に使われている風である。それに対し日本では、与えられた状況を変更しようとする場合には「アイム・ソーリー」という謝罪の気持ちを抱きつつ相手が受け入れるのを待つのではないだろうか。

アイデアを突き詰める英国、すぐ系統的な実験にとりかかる日本

ロンドンの王立研究所=筆者撮影
 「エクスキューズ・ミー」と言って自己を主張することが出来る英国では、貴族の道楽の延長として科学研究が行われてきた経緯がある。例えばクリスマスレクチャーで有名な王立研究所(The Royal Institution)は、もともと貴族有志の寄付で設立され勅許を得た研究所である。歴代所長には、アルカリ金属などを発見したハンフリー・デービー、発電機の基礎などを考案し、「ろうそくの科学」を著したマイケル・ファラデー、X線回折の研究者であるローレンス・ブラッグら、名だたる研究者が名を連ねている。ここでは選りすぐりの研究者たちが潤沢な資金を遣って多くの発明・発見をもたらしてきた。

 こうした歴史的経緯からか、英国では

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