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福島原発事故と原爆投下 アートが可視化する文脈

科学技術と言論とアートを融合させる実験場——あいちトリエンナーレ鑑賞記(3)

粥川準二 県立広島大学准教授(社会学)

 前回に続き、再びあいちトリエンナーレについて書く。あいトリには、核兵器や原子力発電を直接扱っていたり、想起させたりする作品も多い。

 ミリアム・カーン〈美しいブルー〉と藤原葵〈Conflagration〉は、ともに戦争や核爆発への不安を感じさせる絵画作品だ。この両作も対になっているように見えた。同じ会場にあるスチュアート・リングホルト〈原子力の時計〉は、10億年後、地球の自転速度が低下し、1日が34時間になっても時を刻むことができる時計だそうだ。裏側は放射線の存在を示すハザードマークになっている。この時計を10億年稼働させるためには原子力が必要だということだろうか?

拡大岩崎貴宏<町蔵>。狭い通路は、名古屋市中心部を流れる堀川を表しているという=名古屋市西区、江向彩也夏撮影
 円頓寺エリアの伊藤家の蔵で観た、岩崎貴宏〈町蔵〉もまた、どことなく不安をかきたてられる作品である。薄暗い蔵の中に入ると、細い通路があり、その左右はその家にあったと思われる家具などが積み重ねられている。その上には炭が敷き詰められ、ミニチュアの街並みがつくられている。テレビ塔などがあるところを見ると、名古屋なのだろう。伊藤家は炭を扱う商家だったそうだが、炭の上に立つ街は空襲を受けたばかりのように見える。あるいは核戦争の後か? 蔵を出て説明文を読み直すと、この作家が広島出身であることに気づいた。

「被曝最高!」再考

 「言論の不自由展・その後」についても述べておこう。筆者は10月13日夜のメディアツアーで同展を鑑賞することができた。

 キム・ソギュン、キム・ソンウンの〈平和の少女像〉や、大浦信行の〈遠近を抱えて(4点組)〉がよく話題になるが、筆者が気になっていたのはChim↑Pomの〈気合い100連発〉である。

 すでに広く知られているように、この作品は、東日本大震災直後の福島県相馬市の漁港で、Chim↑Pomのメンバーと地元の若者たちが円陣を組み、100回の「気合い」を叫んでいる様子を記録したものである。

 「不自由展」の再開が決まり、この作品の内容が漏れ伝わると、ネット上では炎上が再燃した。若者たちの気合いの声のなかには、「被曝最高!」「放射能最高!」といった言葉があった。一部のネットユーザーたちが激しくこれらに反応し、「福島ヘイト」などと言って、同作や「不自由展」、あいトリ、そして芸術監督の津田を非難した。

拡大Chim↑Pom<堪え難き気合い100連発> Courtesy of the artist

 東京電力福島第一原発事故をめぐっては、その放射線被害を強調する人たちと、それを強調することに慎重な人たちとの間で、大きな分断が生じている。後者が同展やあいトリへの非難に加わり、同じ分断がここでも生じたのだ。困ったことに、筆者は後者に分類されているらしい(もっとも筆者はこの分断を打開すべく、2018年4月、両者に共通する問題を指摘する内容のコラムを『毎日新聞』に書いたら、両者から袋叩きにあったのだが)。

 しかしまず一般論として、苦難に遭っている者が自らの状況を自嘲的に語るのはめずらしいことではない。若者ならばなおさらであろう。筆者も東日本大震災の後、三陸や福島を訪れたさい、被災者たちが不謹慎な冗談を口にするのを聞いて、反応に困ったことが何度もある。

 また、この作品を最後まで鑑賞すれば、彼らが「放射能最高じゃないよ」「ふざけんな!」と叫んで終わることがすぐにわかる。この作品は「福島ヘイト」なのだろうか? 筆者にはそう見えない。

 そしてある被災者の発言が別の被災者にとって都合が悪かったとしても、現実に発せられた言葉を「なかったこと」にするのはむしろ暴力的であろう。

 筆者はこの映像作品の音声をTBSのラジオ番組ですでに聞いていたのだが、会場では、〈気合い100連発〉は〈耐え難き気合い100連発〉という作品と対にされて上映されていた。前者はこれまで各地で展示され、好評を得てきたが、ある芸術祭でNGを出された。NGワードをぼかすようにと提案されたが、そのときには別の作品を出品したそうだ。〈耐え難き〜〉はそのときの提案通りに改定したバージョンである。

 同時に再生される両者を同時に観ると、右側の〈耐え難き〜〉のところどころに「ピーッ」という音が入り、左側の〈気合い〜〉のどこが問題とされたかがよくわかる。〈耐え難き〜〉は、検閲を免れるために一部を伏字にした、戦前・戦中の新聞みたいだ。「不自由展」で展示されるのにふさわしい作品であろう。

彫刻が分断を可視化

 Chim↑Pomは、筆者がいま暮らしている広島でも興味深い騒動を起こしたことがある。筆者はまだそのことを消化しきれていないのでここでは省略する。

 筆者はあいちトリエンナーレのフィナーレを豊田市会場で見届けることにした。前述したように筆者の故郷である。

 豊田市が原爆投下と関係があることはあまり知られていない。アメリカ軍は1945年、原爆投下の訓練のために、長崎に落とした原爆と同じかたちの爆弾に火薬を詰めた「模擬原爆」を、本州各地に投下した。そのうち3発が終戦前日の8月14日、豊田市(当時は挙母町)に落とされた。

拡大長崎の爆心地を指した矢羽根が豊田市に=木村静撮影

 筆者は19歳まで豊田市で過ごしたが、この史実を習った記憶はない。どうやら比較的最近知られるようになったことらしい。

 小田原のどかの〈↓(1946−1948)〉は、ネオン管で矢羽根を模したオブジェで、まるで豊田市の地面に突き刺さっているようにも見える。模擬原爆が豊田市を襲ったことを思い出せ、ということか。

 豊田市会場では、小田原の作品は3カ所に展示されている。1つは駅前広場に設置された〈↓(1923−1951)〉である。これは東京の三宅坂に存在していた台座を再現したものだ。モデルになった台座には最初、軍人の騎馬像が設置されたが、それは戦中に金属供出で消えた。しばらく空座のままだったが、1951年、平和を象徴するという裸婦像が設置された。世間の変化に翻弄されたその台座を模したこの作品は、設置された階段で上に登ることができる。台座の正面が向く方向にあるのは皇居だと小田原が教えてくれた。

 もう1つは、豊田市駅の高架下の一室に設置された前述の〈↓(1946−1948)〉である。小田原はもともと、方向を示す矢印のかたちをした作品をつくっていた。あるとき、知人の学芸員が1枚の写真を教えてくれた。そこには長崎の原爆が落ちた場所を示す、矢羽根型の標柱が写っていた。それは2011年に、核兵器や原子力発電などを表象するさまざまな作品や資料を紹介する展覧会で展示されるはずのものだった。しかしその展覧会は東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故を受けて中止された。小田原はその写真を見て、「バトンを受け取ったような気持ちになった」。作品は赤いネオン管でつくられており、原爆で燃えた街の炎に見えなくもないが、高度成長期の歓楽街の灯りにも見える。

拡大〈彫刻の問題〉の一つ、ソウルの〈平和の少女像〉を写したもの=小田原のどか提供
拡大自作を語る小田原のどか=2019年10月14日、木村静撮影

 最後の1つは、複数の写真や資料を展示した部屋であり、やはり豊田市駅の高架下の一室である(矢羽根の部屋の2つ隣)。小田原もまた、文脈を重視する作家である。「私の作品は背景を知らないとわかりにくいので、オブジェだけでなく、その背景を知ることのできる資料を見せられる部屋をつくろうと思ったのです」。たとえば無料で配布されている『Look at the sculpture』というタブロイドには、〈↓(1923−1951)〉や〈↓(1946−1948)〉の背景を、小田原がていねいに解説した論文が収録されている。

 そしてあまり知られていないようだが、「表現の不自由展・その後」の展示中止をめぐる騒動の余波は豊田市にもおよんでいた。小田原は、〈彫刻の問題〉と題する3点の写真から成る作品を展示していた。1つは長崎の浦上天主堂にある被爆聖像を、もう1つはベルリンのレーニン像を写したもの。そしてもう1つは、ソウルの〈平和の少女像〉を写したものだ。

拡大<平和の少女像>と元慰安婦の写真=愛知芸術文化センター、上田潤撮影

 小田原は、名古屋の会場で〈平和の少女像〉が展示されることを知らずに、この写真を展示した。「不自由展」についての抗議や脅迫は豊田市にもあったが、小田原の作品に対するものはなかったという。ただ、ソウルの〈平和の少女像〉を写した写真が、文脈を切りとられて拡散されれば、「再び攻撃の対象になること」が想像された。小田原は芸術監督の津田大介や豊田市会場のキュレーター、能勢陽子と協議して、自分の意思で8月5日、〈彫刻の問題〉のうちソウルの〈平和の少女像〉を写したものの展示を中止した。

 8月16日に筆者らが初めてこの部屋を訪れたときには、もちろんこの作品はなかった。展示中止を告げるステートメントで、小田原は、あいちトリエンナーレ事務局からの指示があったわけではないことを強調し、こう書いていた。

そしてまた、「表現の不自由展・その後」を中止に追いやったのと同種の暴力に屈したということでもありません。そうではなくて、彫刻がここまでの分断を引き起こすという事実が、私の作品を不可視にさせたのです。

 作品が不可視化された一方で、「彫刻によってこれだけの分断が可視化されたことは驚きであり、想定外でした。まだ言葉にできないこともあります」と、小田原は振り返る。

 さて最終日に展示が再開されたソウルの〈平和の少女像〉の写真だが、像は雨に濡れ、少女が涙を流しているようにも見える。そして小田原の左手が少女の右頬に触れている。小田原が慰めた少女は何を悲しんでいるのだろうか––––。

豊田よ! モノリスよ!

 筆者らは小田原と別れた後、高嶺格の〈反歌〉をあらためて鑑賞し、〈縛られたプロメテウス〉を思い出しつつ、両作品のメッセージを想像した。その隣で開催されていた「としのこえ、とちのうた」という展覧会を鑑賞し、元料理旅館の喜楽亭で、ホー・ツーニェンの〈旅館アポリア〉を再鑑賞した。最後に駅前広場に行って、小田原の〈↓(1923−1951)〉の上に立ってみた。そして広島に帰った。

拡大高嶺格の作品は、廃校のプール底部を高い壁のように垂直に立ち上げている=豊田市、佐藤雄二撮影
 故郷を捨てて31年。こんなに豊田市や愛知県に興味を持ったことはなかった。2回の鑑賞(合計5日)を通じて、筆者は、あいちトリエンナーレは、「言論の不自由展・その後」をめぐる論争だけが重要なのではなく、科学技術とアート、言論を融合させる実験場であったことも忘れるべきではない、と確信した。

 いや、現代アートはもともとそのようなものなのだ。だからこそ文脈が重要になる。来年開催される、ひろしまトリエンナーレ2020 in BINGOが気になってきた。

 豊田市にそびえ立つ蒼きモノリスよ! 願わくは、われらに武器やテクノロジーだけなく、文脈を読み、文脈をつくる力を与えたまえ。(終。敬称略)

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筆者

粥川準二

粥川準二(かゆかわ・じゅんじ) 県立広島大学准教授(社会学)

1969年生まれ、愛知県出身。フリーランスのサイエンスライターや大学非常勤講師を経て、2019年4月より現職。著書『バイオ化する社会』『ゲノム編集と細胞政治の誕生』(ともに青土社)など。共訳書『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、山口剛ほか訳、早川書房)など。監修書『曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民』(アドリアナ・ペトリーナ著、森本麻衣子ほか訳、人文書院)。

 

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