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福島原発事故と原爆投下 アートが可視化する文脈

科学技術と言論とアートを融合させる実験場——あいちトリエンナーレ鑑賞記(3)

粥川準二 叡啓大学准教授(社会学)

 「不自由展」の再開が決まり、この作品の内容が漏れ伝わると、ネット上では炎上が再燃した。若者たちの気合いの声のなかには、「被曝最高!」「放射能最高!」といった言葉があった。一部のネットユーザーたちが激しくこれらに反応し、「福島ヘイト」などと言って、同作や「不自由展」、あいトリ、そして芸術監督の津田を非難した。

拡大Chim↑Pom<堪え難き気合い100連発> Courtesy of the artist

 東京電力福島第一原発事故をめぐっては、その放射線被害を強調する人たちと、それを強調することに慎重な人たちとの間で、大きな分断が生じている。後者が同展やあいトリへの非難に加わり、同じ分断がここでも生じたのだ。困ったことに、筆者は後者に分類されているらしい(もっとも筆者はこの分断を打開すべく、2018年4月、両者に共通する問題を指摘する内容のコラムを『毎日新聞』に書いたら、両者から袋叩きにあったのだが)。

 しかしまず一般論として、苦難に遭っている者が自らの状況を自嘲的に語るのはめずらしいことではない。若者ならばなおさらであろう。筆者も東日本大震災の後、三陸や福島を訪れたさい、被災者たちが不謹慎な冗談を口にするのを聞いて、反応に困ったことが何度もある。

 また、この作品を最後まで鑑賞すれば、彼らが「放射能最高じゃないよ」「ふざけんな!」と叫んで終わることがすぐにわかる。この作品は「福島ヘイト」なのだろうか? 筆者にはそう見えない。

 そしてある被災者の発言が別の被災者にとって都合が悪かったとしても、現実に発せられた言葉を「なかったこと」にするのはむしろ暴力的であろう。

 筆者はこの映像作品の音声をTBSのラジオ番組ですでに聞いていたのだが、会場では、〈気合い100連発〉は〈耐え難き気合い100連発〉という作品と対にされて上映されていた。前者はこれまで各地で展示され、好評を得てきたが、ある芸術祭でNGを出された。NGワードをぼかすようにと提案されたが、そのときには別の作品を出品したそうだ。〈耐え難き〜〉はそのときの提案通りに改定したバージョンである。

 同時に再生される両者を同時に観ると、右側の〈耐え難き〜〉のところどころに「ピーッ」という音が入り、左側の〈気合い〜〉のどこが問題とされたかがよくわかる。〈耐え難き〜〉は、検閲を免れるために一部を伏字にした、戦前・戦中の新聞みたいだ。「不自由展」で展示されるのにふさわしい作品であろう。

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筆者

粥川準二

粥川準二(かゆかわ・じゅんじ) 叡啓大学准教授(社会学)

1969年生まれ、愛知県出身。フリーランスのサイエンスライターや大学非常勤講師を経て、2019年4月より県立広島大学准教授、2021年4月より現職。著書『バイオ化する社会』『ゲノム編集と細胞政治の誕生』(ともに青土社)など。共訳書『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、山口剛ほか訳、早川書房)など。監修書『曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民』(アドリアナ・ペトリーナ著、森本麻衣子ほか訳、人文書院)。

 

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