鳥居啓子(とりい・けいこ) テキサス大学オースティン校冠教授 名古屋大学客員教授
1993年、筑波大学大学院生物科学研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員、イエール大学博士研究員、ミシガン大学博士研究員などを経て、2009年ワシントン大学教授、11年ハワード・ヒューズ医学研究所正研究員。19年からテキサス大学オースティン校ジョンソン&ジョンソンセンテニアル冠教授。井上学術賞、猿橋賞、米国植物生物学会ASPBフェロー賞など受賞。専門は植物発生遺伝学。
ノーベル賞の「低酸素応答」は動物細胞の話。植物は違う仕組みで、すでに応用も
先月首都圏に上陸した台風19号は、全国に大きな洪水被害をもたらした。被災された方々に心からお見舞い申し上げたい。洪水は、農作物にも甚大な被害を与える。台風19号による農林水産関係の被害額は、実に2000億円を超える。農業国の米国でも、例年、1000億円(1 billion dollar)の被害が出る。温暖化が進む今、洪水被害に強い作物の重要性は日々増している。
昨年の西日本豪雨のあと、バングラデシュで進化した洪水とともに生きる浮きイネについて書いた(「洪水とともに生きるイネの驚異的な能力」)。植物も、われわれ動物と同じように、水没(冠水)してしまうと呼吸ができず(酸素を吸えず)数日で窒息して死に至る。しかし、浮きイネは、水没を感知し猛烈なスピードでぐんぐん背丈を伸ばすことで、水面に顔ではなくて葉を出し生存することができる。
日本を含むアジアの主要作物であるイネ。その総作付面積の4分の1は洪水地帯にある。残念ながら、アジアの人々の食を支えるという点において、浮きイネは適切な作物とは言えない。本来イネの種子(お米)に蓄えるべき栄養分が、茎を伸ばすために消費されてしまうからだ。では、普通の作物であるイネは、水災害になすすべもないのだろうか。いや、そんなことはないという科学の物語を今回は伝えたい。
折しも先月、今年のノーベル医学生理学賞が細胞の低酸素応答の仕組みを解明した3人の科学者に与えられると発表された。素晴らしい成果である。しかしながら、植物学者から「"動物細胞"の低酸素応答の仕組みでは?」という疑問の声がSNSなどで上がった。なぜなら、植物の低酸素応答は、動物のそれとは似て非なるものだからだ。植物の研究が過小評価される"Plant Blindness"のことを本欄で紹介したことがある(「生命科学を先導してきたのは実は植物の基礎研究」)が、またもやその一種ではないか、などと自虐的?に揶揄された。
これから紹介するのは、モデル植物であるシロイヌナズナやイネの基礎研究から見えてきた「植物の低酸素応答の仕組み」と、その研究成果がすぐに発展途上国での農業へ応用され、洪水にあっても死なないイネを創り出した物語である。そして、一連の研究をリードした二人の女性研究者を紹介したい。
動物細胞は、窒息状態に陥ると、酸素をもっと供給しようと造血ホルモン遺伝子などを発現させる。その鍵となるのが
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