須藤靖(すとう・やすし) 東京大学教授(宇宙物理学)
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。1958年高知県安芸市生まれ。第22期・第23期日本学術会議会員。主な研究分野は観測的宇宙論と太陽系外惑星。著書に、『人生一般二相対論』(東京大学出版会)、『一般相対論入門』(日本評論社)、『この空のかなた』(亜紀書房)、『情けは宇宙のためならず』(毎日新聞社)、『不自然な宇宙』(講談社ブルーバックス)などがある。
私立も国公立もできる限り共通試験を使う仕組みにすればいい
大学入学共通テストに民間の英語試験を導入する案は、土壇場になって延期された。数多くの問題点が指摘し尽くされていたにもかかわらず、萩生田文部科学大臣のオウンゴール発言がなければ強行されていたであろうから、実に恐ろしい。ただし、私はこれを機会として、現在の入試システムが受験生に過度の経済的負担を課している事実をも認識し、受験生の経済負担と大学教員の労務負担の双方を減らす改善策を真剣に議論するべきだと考える。
今回、英語民間試験導入に対して繰り返し指摘されてきた問題点は
1 異なる複数の試験の成績を公平に点数化することができるか
2 問題や採点のミスや漏えい等、試験の信頼性がどこまで保証できるか
3 受験料が高く試験開催場所も限られているため、特に都市部以外の受験生にとって、時間的および経済的に大きな負担となる
の3つであろう。特に最後の経済的負担がもっとも強い批判にさらされた。私も同感である。
ただ、現在の入学試験システムもまた、多大な経済的負担を課していることに変わりはない。私立大学の場合、入学試験検定料は3万円から3万5千円が相場である。普通は3から5校の異なる大学あるいは学科を受験するから、検定料だけで10万円から15万円の支出を余儀なくされる。しかも、英語民間試験で指摘された、都市部とそれ以外の地域での必要となる交通費や宿泊費の格差、受験生の家庭の経済力によって受験できる可能性が制限される不公平性があるという構造は、全く同じである。
英語民間試験の場合は複数回受験を容認したために、この不公平性がクローズアップされ大きく問題視された。しかし、その根底にある経済的負担の大きさという問題が、なぜ日本社会において数十年以上も容認されたままなのか。私には疑問である。
私立大学の入試検定料自体が高いと批判しているわけではない。現場の教員の一人として、それに必要な労働に対して適切な対価を支払ったとすれば、必ずしも高すぎるとは思えない。
私の疑問(批判)は、なぜ大学ごとに異なる入試を実施する必要があるのか、である。基本的にはセンター試験の成績を利用して判定すれば良く、そちらのほうが経費と労力のいずれの観点からもずっと効率的だと思うのだ。
センター試験を眺めると
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