コンピューター科学は人間の知的文化を潰してもよいのか
2019年12月10日
1997年、IBMのチェス専用スーパーコンピューター「Deep Blue」が史上最強ともいわれていた世界チャンピオンのガルリ・カスパロフに勝利した。人工知能の研究において、コンピューターがチェスで人間よりも強くなることは一つの目標であり、悲願だった。私もコンピューター科学を専門としている若手研究者の一人として、当時は素直に「すごいな」と思った。
「その日は20世紀科学の一つの転換点となった」という番組も作られた(NHK「世紀の頭脳対決」)。しかし、“その日”は「転換点」とはならなかった。コンピューターがチェスの世界チャンピオンに勝利した「1997年5月11日」をご存じの方は少ないだろうし、研究の方向性に何らかの変化をもたらしたわけでもなかった。
コンピューターがチェスで勝利した日が「転換点」にならなかったのに、コンピューターに敗れたトップ棋士の引退を私が「転換点」と考えるのはなぜか。
それは、1997年と現在では、コンピューターに対する見方が大きく変化しているからである。
少し前まで、
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