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生物多様性の海、沖縄県大浦湾を守る

日米地位協定に挑む安部集落のおばあ達

桜井国俊 沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人

 師走の沖縄。地元の新聞2紙の1面トップに掲載されたのは、キャンプ・ハンセン近くの金武町で米軍の照明弾が民家に近い田んぼに落下したとの記事であった。稲刈り前であれば火事になった恐れが強い。

米軍キャンプ・ハンセン内で打ち上げられていた照明弾とみられる物体(左)と田んぼへの落下物(右)=2019年12月5日、沖縄県金武町、謝花喜順さん提供
 同じ日の沖縄タイムス紙は、社会面で「園からの祈り 緑ヶ丘 部品落下から2年」という連載記事を開始している。米軍普天間飛行場に隣接する宜野湾市の緑ヶ丘保育園に大型輸送ヘリCH53Eからのものとみられる円筒が落下したのが2年前の12月7日だったからだ。米軍は今に至るも落下を認めず、園児や父母、保育園関係者は現在も繰り返される上空でのヘリ飛行に慄いている。

日常茶飯事となる部品落下

 2年前、緑ヶ丘保育園への部品落下から6日後には、CH53E大型輸送ヘリの窓(約7.7キロ)が普天間第二小学校の校庭に落下している。落下時は体育の授業中で児童54人が運動場におり、十数メートルの距離にいた小4男子の左肘に風圧で飛んできた物が当たり痛みを訴えた。

沖縄県金武町にある米軍キャンプ・ハンセン

 落ちてくるのは部品だけではない。部品落下の2カ月前の2017年10月11日には、高江の牧草地にCH53Eが墜落炎上している。また普天間第二小学校への窓墜落のちょうど1年前の16年12月13日には、夜間給油訓練に失敗したオスプレイが名護市東海岸の安部沖に墜落大破している。この件について中城海上保安部は複数回にわたり機長を含む当時の乗員への聴取を米軍に要請したが、米軍は応じなかった。日米地位協定17条では日米当局は「犯罪についての証拠の収集および提出を相互に援助しなければならない」と明記しているが、米軍はこれを無視したのである。

 証拠物の機体についても米軍が回収したため触れられず、捜査は不十分な形で終結となった。結局、中城海上保安部は時効(3年)前の19年9月24日に航空危険行為処罰法違反の容疑で、オスプレイを操縦していた機長を氏名不詳のまま那覇地検に書類送検した。米軍機の墜落事故をめぐっては04年8月に沖縄国際大学で起きた大型ヘリCH53Dの墜落事故でも、米軍は県警の捜査協力を拒み、県警は今回と同様に被疑者不詳のまま書類送検した。その結果、那覇地検は不起訴としており、今回も不起訴となる見通しである。

納得しない安部のおばあ達

 オスプレイが墜落した安部地区は、大浦湾をはさみ新基地建設が進められる辺野古岬の対岸に位置する小さな集落である。墜落を契機に「オスプレイNO・大浦湾の環境を守る安部おばあ達の会」が立ち上がり、筆者はその活動にささやかな支援をしてきた。その安部おばあ達の会が、オスプレイ墜落からちょうど2年目の昨年12月13日〜16日、写真展「大浦湾の生きものたち」を大浦湾沿いの集落の瀬嵩(せだけ)にある名護市役所久志(くし)支所で開催したことは既に報告した通りである。

写真展の会場で米軍基地の環境問題について講演を聞く市民たち=2018年12月16日
 瀬嵩でのこの写真展がきっかっけとなって、その後、沖縄県内の各大学で写真展が開かれていった。その結果、いまや若者を含め多くの県民が辺野古・大浦湾の海が類まれな生物多様性の海であることを知り、守ろうとしているのである。辺野古・大浦湾の海が世界に二つとない貴重な自然であることは、日本生態学会をはじめとする19の学会が、14年11月11日、連名で防衛大臣に対し辺野古新基地の建設を見直すよう要望書を提出していることが何よりの証左である。
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