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100年以上前の「ニッポニウム」発見物語の真実

国際周期表年に多くの人に知ってほしい「不運の科学者・小川正孝」

伊藤智義 千葉大学大学院工学研究院教授

国際周期表年2019閉会式のホームページ。閉会式は世界中から関係者が集まり、12月5日に東京プリンスホテルで催された。
 今年はメンデレーエフが元素の周期律を発見してから150年ということで、世界中が「国際周期表年2019」を祝った。2019年1月7日の論座「今年は国際周期表年、『水兵リーベ』を楽しもう」に玉尾皓平さんがその意義を明瞭に執筆されている。アジア初の元素発見となった113番元素ニホニウムについては2016年6月17日に高橋真理子さんが理研・森田グループの命名権獲得までの道のりをわかりやすく解説している。記念行事も数多く行われ、化学の分野においても日本にとっても記念すべき一年であったことは間違いない。

大学生の頃から関心を寄せていた「ニッポニウムの発見者」

 12月から1月にかけて東京・上野の国立科学博物館で「国際周期表年記念企画展」が開催されており、足を運んだ。個人的に関心を寄せていた小川正孝(大正時代から昭和初期にかけての東北大学総長)も紹介されることがプレスリリースに記載されていたからである。

東北帝国大学総長の理学博士・小川正孝さん=1928年撮影

 小川は今から100年以上も前の1908年に「ニッポニウム」という新元素の発見を発表した科学者である。しかし、ニッポニウムは他の研究者には追試できず、否定されていく。小川は生涯をかけてニッポニウムの研究を続けたが、願いは叶わず、1930年、実験中に倒れ、そのまま65年の生涯を閉じた。

 小川がニッポニウムと信じた43番元素は自然界には存在せず、人間が放射線を利用して人工的に作り出した最初の放射性元素として1937年に発見され、テクネチウム(Tc)と名付けられた。

 私が小川に興味を持ったのは30年ほど前(1980年代)の大学生の頃だ。当時、「栄光なき天才たち」(集英社ヤングジャンプ)というノンフィクション漫画の原作を書いていて、科学者も多く取り上げた。例えば、周期律表と関係が深い人物としてはイギリスの物理学者ヘンリー・モーズリーがいる。1913年、特性X線の研究から原子番号の概念を確立し、元素の発見に大きな進展をもたらした人だ。ノーベル賞は確実といわれていた中、2年後の1915年、27歳の若さで戦死してしまう。

 商業漫画誌で(科学ではなく)科学者に焦点を当てた作品は他にはなく、「栄光なき天才たち」はそれなりの評価を頂いた。ただ、もともと私自身の目標が研究者になることだったので、大学院の進学が決まったところで、当初の予定通り、原作の仕事は終わりにした。

 そのときに、執筆予定としてストックしていた人物の中に小川正孝が入っていた。捕えられそうで捕えられない。そういうものを追いかけ続けることも科学者の一つの姿のように当時の私は思った。小川は43番元素が自然界には存在しないとは思ってもいなかったに違いなく、幻を追い続けていた。そこに悲運の科学者像を当時の私は感じていた。

 ところが、物語はそれほど単純ではなかった。それを知ったのは

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