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日本を弱体化させる大学序列化と入試制度

才能の流動性や多様な価値観を認めなければ、国際競争力はますます失われる

古井貞煕 豊田工業大学シカゴ校 (TTIC) 理事長

 従来の大学入試センター試験(以後「センター試験」)に代わる、大学入学共通テスト(制度)の英語に民間の試験を使うとか、数学や国語に記述式問題を使うとかが検討され、それが頓挫して、受験生や初等中等教育に大きな影響を与えている。

大学入試をめぐる混乱は、大学そのもののあり方の問題を映し出す
 この問題が根深いのは、現在の硬直化した入試制度が、大学本来のあり方にまで大きな弊害を及ぼしているからだ。入試成績ばかりに左右された過度の大学の序列化は、研究者の流動性や大学の多様性を失わせ、国際競争力を低下させるなど、深刻な悪影響を生んでいる。にもかかわらず入試制度を改革できない背景には、日本の大学運営が抱えている課題もある。こうした関係まで含めて論じてみたい。

大学と受験生の序列化

 大学の入試は本来、各大学で、どのような学生が入学してほしいかの基準に従って、個別に行うべきものであるが、大学教員の手間と、受験生それぞれの受験回数の負担を減らすために、センター試験が大学と受験生の序列化に使われてきた。国立大学では、各大学独自に行う入試の出願資格にセンター試験を用いており、受験生の足切りを行う方法として使われているケースが多いが、センター試験の成績だけで合否を決めている場合もある。

 私立大学では、センター試験を入学者選抜にどう利用するかは、各大学が個別に決めており、センター試験だけで選抜をしたり、二次試験を免除する受験生の選抜に用いたり、二次試験の結果と合計して合否判定に用いたりしている。いずれにしても、受験生の序列化がセンター試験で行われるため、これが日本の初等中等教育に及ぼしてきた影響は、極めて大きい。

大学入試が初等中等教育に及ぼす影響は極めて大きい

 受験生が良い大学に入るために序列を高めるには、(評判の)良い高校に入っている必要があり、そのためには良い中学校に入っている方が有利で、そのためには良い小学校に入っている方が良い、ということになって、日本の子供たちは、小さいときから受験に翻弄されている。そして、各段階での入試に合格するために、学校での勉強だけでなく、学習塾に通うことが当たり前になっている。学習塾では、学校で教えている内容よりも早く学習内容を先に進めて、入試前に試験対策の特別指導を行う期間を確保したり、入試での問題を短い時間で解けるようにするための、学校で教えない技術や公式を教えたりしている。子供たちは、学習塾での序列などでお尻を叩かれて、そのような技術や公式を、理屈なしで暗記することが指導される。

 こうして、自分の頭で考えるよりも,覚えこまされた技術や公式を素早く用いて、回答を導き出す指導が行われる。このようにして、本来初等中等教育で何を教育すべきかという理想とは別の要因で、教育の道筋が曲げられてきた。

大学で何を学んだかが問われない社会

 センター試験での序列に従って入学した大学を卒業すれば、大学で何を勉強したかは問われずに、「○○大学卒業」という肩書と面接技術で企業に就職でき、社会に出ていくことができる。入試や塾で与えられる序列は、それぞれの人の多様な価値の、ほんの一側面であるのにも関わらず、それが絶対であるかのように受け入れられ、与えられた場所と仕事で、他人任せの人生を送るようになる。

日本では入試成績が人生を左右するほど絶対視されている

 大学は本来、プロフェッショナルとしての知識や能力を身に着ける、重要な場所であるはずである。従って、センター試験のような手段で、おおざっぱなレベル分けが行われたとしても、どこの大学に行けば何が学べるか、何が身に着くかによって、受験する大学が選ばれるのが、本来の姿であろう。

 筆者が働いているアメリカでは、学生は、学部の4年間で基礎学問を広く学び、通常、別の大学の大学院に進学して、専門能力を身に着け、修士あるいは博士の学位を取得し、社会で働くことになる。筆者の学術分野である人工知能(AI)では、学部で物理を学び、大学院でAIを学んだというような専門家が多い。

 日本では、大学教員として働くような場合は別として、一般社会で働く場合には、大学で何を学んだかが問われない。会社や役所では人事異動が定期的にあって、一人一人の専門性が重視されない。これが、あらゆる分野での日本の国際的競争力の低下の原因になっている。

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