捏造は許されないが、論文は物理学の発展を先取りしていた?
2020年02月03日
「史上空前の捏造(ねつぞう)」と言われた米国ベル研究所の論文捏造は、今世紀初頭、ほぼ20年前に起こった。次々に発表された画期的な発見のすべてが捏造だったという特異な事件だった。だが、その後の経過がまた驚くべき道筋をたどっていることは、あまり知られていないのではないか。実は、彼の「発見」が次々と確かめられているのである。筆者自身、彼の報告の中心的成果の一つを実現させた。その結果、この分野の研究がさらに広がっている。科学とはこのように進むものなのか。物質科学の分野で起きたこの事件について、半分当事者という立場から振り返ってみたい。
ベル研究所の研究員だったヤン・ヘンドリック・シェーン氏は2000~2001年に、有機材料を用いたトランジスタによって、超伝導から量子ホール効果(半導体の界面などに磁場をかけたとき生まれる量子論的な現象)、レーザー発振、単分子トランジスタなど多彩な新しい物理現象を次から次へと報告し、物理学界を興奮の渦に巻き込んだ。しかも、たった2年の間にnature誌、Science誌計16報をはじめとして、全50報以上の論文をすべて第1著者として出版した。通常、若い研究者が第1著者で出版する論文数は1年間に1~数報であるため、インパクトといい、論文数といい、空前絶後のスケールであった。
しかし、2002年になって設置されたベル研の外部調査委員会が、多くの論文がシェーン氏ただ一人による捏造であるとの結論を出した。その結果、彼は即日ベル研を解雇され、急速に事件が終息した。論文の多くは本人の同意なく取り下げられ、だれ一人として氏の論文を1本たりとも信じなくなった。
この経過をもう少し詳しくお伝えしよう。シェーン氏が無敵の進軍を続けていたとき、世界中の研究者が氏の素晴らしい成果に触発され、意気込んで参入した。日本人の中にも、海外に留学して一発当てようという血気にあふれた若者が数人いた。世界中の教授たちは、自分たちのアイデアを盛り込んだ研究提案書を資金提供機関に出し、そのいくつかは採択された。筆者もある機関から比較的高額の研究費を獲得した。研究費の採否にかかわらず、学生や研究員を動員して再現を目指した研究グループもかなりあった。
しかしながら、
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