変わる世界のプルトニウム政策[8]
2020年01月29日
約40年前、米国のカーター政権は、日本に再処理の中止を求める中で、日本の使用済み燃料を太平洋の米国領の島で保管する提案をしていたことが分かった。これが実現していたら、どうなっていただろうか。日本の原子力・エネルギー政策を変えたに違いない分岐点「イフ=if」だった。
この件に関しては、昨年12月、朝日新聞がWEBページで報道した。
話は1970年代にさかのぼる。1977年1月に誕生したカーター政権は、インドが民生の原子力技術から核兵器を開発(74年に核実験成功)したことに衝撃を受け、核拡散につながりやすい再処理の無期延期を決め、他国にもそれを要請した。
日本は全量再処理の政策を持ち、第一歩として小規模の東海再処理施設(茨城県東海村)が完成間近だった。カーター政権は77年の初めから、日本に対し東海施設の運転を「再考」するよう要請した。
当時、原子力開発を始めた国はたいてい核燃料サイクルもめざしていたので、カーター政権の「再処理は核拡散に問題があり、経済的でもない」という突然の強い姿勢に各国は少なからず戸惑った。日本も「原子力政策の根本が崩れる」との危機感から懸命に対応し、77年から、再処理をめぐる日米の激しい交渉が始まった。ここまではよく知られている話だ。
パルミラに保管する使用済み燃料については、「全量ではなく一部を一時期」という説もあるし、「永久保管」という表現もでてくる。量や期間については、明確ではなかったようだ。
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