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もしパルミラ環礁に貯蔵所ができていたら?

変わる世界のプルトニウム政策[8]

竹内敬二 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

 約40年前、米国のカーター政権は、日本に再処理の中止を求める中で、日本の使用済み燃料を太平洋の米国領の島で保管する提案をしていたことが分かった。これが実現していたら、どうなっていただろうか。日本の原子力・エネルギー政策を変えたに違いない分岐点「イフ=if」だった。

米国領の「パルミラ環礁に貯蔵を」、米が突然の提案

 この件に関しては、昨年12月、朝日新聞がWEBページで報道した

 話は1970年代にさかのぼる。1977年1月に誕生したカーター政権は、インドが民生の原子力技術から核兵器を開発(74年に核実験成功)したことに衝撃を受け、核拡散につながりやすい再処理の無期延期を決め、他国にもそれを要請した。

 日本は全量再処理の政策を持ち、第一歩として小規模の東海再処理施設(茨城県東海村)が完成間近だった。カーター政権は77年の初めから、日本に対し東海施設の運転を「再考」するよう要請した。

 当時、原子力開発を始めた国はたいてい核燃料サイクルもめざしていたので、カーター政権の「再処理は核拡散に問題があり、経済的でもない」という突然の強い姿勢に各国は少なからず戸惑った。日本も「原子力政策の根本が崩れる」との危機感から懸命に対応し、77年から、再処理をめぐる日米の激しい交渉が始まった。ここまではよく知られている話だ。

拡大核拡散防止に強い態度を示したカーター米国大統領(左)。東京サミット(先進国首脳会議)のため来日し、大平正芳首相との会談に臨んだ=1979年6月25日、東京・首相官邸
 それに関連する大きな話が埋もれていた。米国は日本に対し、再処理の中止、あるいはやり方の変更を求める中で、「ハワイの南約1600キロにある無人の米国領パルミラ環礁に、日本の使用済み燃料を保管してはどうか」と提案していたのである。交渉のさなかに、「米国領内に貯蔵所を」という提案である。再処理を嫌う米国の本気がうかがえる。

拡大
 この話は一部の関係者以外には知られていなかった。朝日新聞は、当時を知る電力関係者、元外務省原子力課長の金子熊夫氏らの証言、英国の公文書館で公開された文書から何があったかを報じている。

 パルミラに保管する使用済み燃料については、「全量ではなく一部を一時期」という説もあるし、「永久保管」という表現もでてくる。量や期間については、明確ではなかったようだ。

再処理契約の交渉中だった日英仏は「困った」

拡大再処理施設の運転開始を前に運び込まれる、輸送用容器に入った使用済み燃料=1977年7月15日、茨城県東海村
 70年代、日本は旺盛な原発建設をスタートさせていた。ただ東海村で建設中の施設では再処理能力が足りないため、初期の原発稼働で出る使用済み燃料の再処理を、英仏が建設する工場に委託する話を進めていた。フランスのラアーグ再処理工場、英国のソープ再処理工場である。英仏は、外国から再処理を受注する「再処理ビジネス」を狙っていたのである。米国からの突然のストップに日本も英仏も困った。
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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

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