現代アートは文脈を取り戻せるか? 出品作家らの対話企画と作品から考える
2020年02月13日
「撮影が禁止されているので、デッサンしている人もいましたよ」「ネット中継している人とか…」「スタッフに詰め寄っている人もいました」
たまたま同じテーブルに座ったアート関係者3人がそう教えてくれて、筆者は興奮を禁じ得なかった。
ここは百島。尾道港からフェリーで50分、高速船で25分のところにある小さな島である。面積は3平方キロメートルに過ぎず、人口は500人にも満たない。その大半は高齢者で、子どもはわずか。「昔はアサリが採れたが、ある時期から採れなくなった」と、島の男性は言う。空き家も多い。言葉を選ばずにいえば、過疎と高齢化が進む離島であろう。
「あいトリ」では、「表現の不自由展・その後」の展示中止のことばかりが話題になった印象がある。もちろん表現の自由をめぐる問題は重要だ。その一方で、個々の作品自体が議論されないのは惜しい。だから筆者はあいトリについて、できるだけ作品そのものに注目して記事を書いた。16日と17日に「連続対話企画」があると知り、今回も作品自体を観て伝えよう、と決意して百島に向かった。
尾道港から百島の福田港へのフェリーで、偶然、あいトリの芸術監督・津田大介と会った。16日の対話企画にのみ入場者として参加するらしい。
筆者らは昼頃に百島に着いた。古民家を改修した「乙1731-GOEMON HOUSE」というお店でランチを食べたのだが、そこにも作品が展示されていた。ランチを注文し、待っている間に観てみたところ、いきなり驚いた。柳幸典〈籠の鳥〉は、木製の檻のような一角に飾られた日本刀である。よく見ると、『朝日新聞』を嫌いな人たちが変えたいと望んでいる法律の条文が刃に刻まれていた。
その隣の部屋には、小銃のレプリカのようなものがずらりと並んでいる。砲台のようなものもある。床の間には、大砲の薬莢が並び、その一部は生花で花を生ける「花器」のような形に加工されている。これらは榎忠の〈LSDF〉という作品だった。
筆者らはランチを2階で食べることにした。そこで同じテーブルに座った人たちから冒頭のような話を聞いた。
その2階にも小さめの作品たちが並んでいた。池内美絵〈Alice2015〉は、作者自身の排泄物でつくったという小さな人形である。そのほか、「使用済みコンドーム」でつくったベビーシューズや「彼の精液を拭き取ったティッシュ」でつくったリースも展示されていた。いずれも説明文がないとその材料を知ることはできなかっただろう。1階の榎忠とのコラボ作品もある。食事をする場で展示するのにふさわしいかどうかは議論の余地があるかもしれない。
17日の午前中、廃校になった中学校を改装した「ART BASE 百島」で、あいトリではVRを応用した作品も印象的だった小泉明郎の映像作品〈夢の儀礼(帝国は今日も歌う)〉を観た。これも天皇制にかかわる作品だ。同日午後の対話企画で小泉が話したことなどによると、この作品は、彼が子どもの頃に見た夢にヒントを得たものだという。その夢では、小泉の父が「ニワトリの餌にされるために」警察のような人たちに連れて行かれてしまった。また小泉の父は天皇制に批判的な人だった。しかしある日、小泉が天皇制を扱った作品を制作したときには、そのことに「傷ついた」と彼に伝えたという。
〈夢の儀礼(帝国は今日も歌う)〉では、小泉の父を演じていると思われる男性が警察官に囲まれて歩く様子が3つのスクリーンで映される。天皇制に反対する人たちのデモと、それを罵倒する人たちも映されるのだが、彼らの罵倒は、男性に向かっているようにも見える。男性は絶望に満ちた声で「明郎」と息子の名前を叫ぶ…。
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