尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト
1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。週1回の読書ブログ「めぐりあう書物たち」を開設中。
25年前の量子記者は「成長戦略だけの話ではない」と思う
過日、朝日新聞の朝刊をめくっていて驚いた。オピニオン面の最上部に「量子コンピューターの胎動」という見出しが躍り、広告欄を除く全面に記事が展開されている。科学医療部・勝田敏彦記者が執筆した「記者解説」である(朝日新聞2020年2月17日付朝刊)。私は書かれている中身よりも先に、その扱いに目をみはり、そして感慨にふけった――。
量子コンピューターとは、現代物理学の大黒柱である量子力学の不可解さを逆に生かして高速計算を実現するコンピューターのことだ。量子力学は1920年代半ばに確立されたが、そのころは核心部の不可解さが実験で直接には見えてこなかった。ところが、80年代には極微や極低温の技術が進んで、量子現象が実験室で再現されるようになる。その結果、不可解さが真実であることがわかり、これを情報科学に活用しようとする量子情報科学が台頭した。90年代半ばのことである。
当時、私は朝日新聞ヨーロッパ総局(ロンドン)の科学記者で、この物理学の新潮流を欧州各地の大学や研究所で取材した。その報告記事は、帰任後の95年秋から冬にかけて科学面に連載した。このとき、もっとも苦労したのは取材でも執筆でもなく、社内の説得だった。「なぜ、こんな話を書くのか?」「市民生活とは関係がない」「しかも、わけがわからないことだらけだ」――そんな冷ややかな視線を感じながら、なんとか10回分を書き通したのだ(朝日新聞夕刊科学面1995年10~12月連載「量子の時代――現代物理『不思議』前線」)。
「量子」が新聞社内で疎ましがられたのも無理はない。量子コンピューターを可能にする量子力学の不可解さが半端ではないからだ。そこでは、状態の重ね合わせということが起こる。たとえば、原子内の電子のエネルギーレベルが「高」状態でもあり「低」状態でもある、というような具合に――その結果、量子コンピューターの内部では、情報単位の量子ビットが、「1」「0」だけでなく「1でもあり0でもある状態」をとりうることになる。
これは、世間の常識とかけ離れている。新聞には刑事事件の裁判記事が載るが、このとき、アリバイの成否が有罪無罪を見極めるカギの一つになる。被告人Xが事件発生時、事件現場(地点aとしよう)から離れた地点bにいれば犯行は不可能という理屈だ。「aにもいてbにもいる状態」など、あるわけがない。
ここで思い起こしてほしいのは、1995年には地下鉄サリン事件が起こっていたことだ。超常現象の存在を主張するカルト集団に対して警戒感が強まっていた。量子力学の不可思議さを、ニセ科学の危うさと同列視する向きもあったように思う。
だが、そうではないという確信が私にはあった。複数の状態が重なり合うという量子力学の不可解さが私たちの日常にないことには、ちゃんとした理由がある。それは、対象となる物理系(システム)が周辺環境に邪魔されては実現しない。ヒトの身の回りは騒々しくて、この条件を満たさないのだ。ところが、原子や電子などの極微粒子を極低温に冷やしたり、1個ずつ扱ったりすれば、話は違ってくる。そこには、究極の静寂がある。現代のハイテクが極微や極低温の世界を人工的につくり出したからこそ、量子力学の核心部が立ち現れたのだ――。
懐旧にふけるのは、このくらいにしよう。ただ、今回、量子コンピューターの記事の大展開に隔世の感を覚えたことは、わかっていただけたと思う。
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