須藤靖(すとう・やすし) 東京大学教授(宇宙物理学)
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。1958年高知県安芸市生まれ。主な研究分野は観測的宇宙論と太陽系外惑星。著書に、『人生一般二相対論』(東京大学出版会)、『一般相対論入門』(日本評論社)、『この空のかなた』(亜紀書房)、『情けは宇宙のためならず』(毎日新聞社)、『不自然な宇宙』(講談社ブルーバックス)、『宇宙は数式でできている』(朝日新聞出版)などがある。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「著名研究者」が編集委員・査読者の立場を悪用してやっていたこと
優れた研究とは何かを定義することは困難だ。にも関わらず、昨今は大学の研究者の業績を「客観的」に評価し、ややもすれば一次元的に数値化してそれを教員の給与にまで反映する仕組みを導入する大学すら現れている。程度問題なのかも知れないが、私は同意できない。それに関してNatureの2020年2月13日号に興味深い記事が掲載されている。著名な生物物理学者とされるKuo-Cen Chou(周国城)が、専門雑誌の編集委員や査読者の立場を悪用し、自分の論文を引用することを強制して「客観的」業績指標を上げていたというのだ。
この件については後述するとして、特に日本の場合、冒頭に述べた流れの背景には、主として二つの理由があると思われる。一つは、大学教員の多くは大した仕事もせず怠けているのではないかとの性悪説。もう一つは、運営費交付金の減少にともなう大学の財政危機である。
一般企業において人事評価を行うのは当然であり、それに異論を唱えることこそ大学教員の甘さでしかない、という意見もあるだろう。無論すべて否定するつもりはない。講義や学生指導などの教育業務については学生からのフィードバック、入試業務や学内委員会については年ごとにその負担を勘案して、ある程度客観的に評価できるし、(必要だと考えるなら)それを給与に反映させても良いかもしれない。
実際、あまり知られていないだろうが、特に入学試験問題作成には向き不向きがある。限られた出題範囲のなかから、幅広い受験生の学力を適切に評価できる問題を作成し、あらゆる角度から不備がないのかを確認する作業は、それなりの適性を要する。優れた研究者かどうかとは独立の能力が必要だ。しかも入学試験を絶対視する昨今の情勢を考えると、担当者の責任と負担は並大抵ではない。安心して任せられる教員だけに集中させてしまうと大きな不公平性を生んでしまう。しかしながら、研究業績の評価に関しては事情がかなり異なる。
私が知っている自然科学研究の場合に限れば、研究業績の「客観的」指標として用いられるのは、
A 原著査読論文の出版数(例外を除けば、英語のものに限る)
B 自分の論文が別の論文において引用された件数
C 論文が掲載された論文誌の著名度(引用頻度の統計に基づいたインパクトファクターで代表されることが多い)
D 国際学会や研究会における招待講演数
が主である。
かつては、Aがある程度の基準を与え、その上で本当に優れた論文が数本あるかどうかが研究業績の評価であった。ところが、研究の競争激化、大型化と国際化(共著者数の増加)、といった様々な要因のため、出版される論文数は急激に増加している。
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