東日本大震災時に訴えた「批判より提言の時」をいま再び
2020年03月04日
政府の対応にある程度の問題があることは事実であるが、今はそれを批判することよりも、次にどうすべきかを一丸となって考え、協力して進めることが本質である。この時期にいたっても、批判や怒りをぶつけるだけしかできないコメンテーターが少なからず見受けられる。それらは現状が完全に落ち着いてから好きなだけやればよい。特に通常のワイドショー形式を維持したままの、素人達のやり取りは無益どころか有害ですらあり得る。特に子供たちにとって、「悲観的」な現状ばかり繰り返し見せられることによる精神的なストレスは無視できまい。少しでも子供たちに安らぎを与えられるような良質な子供向け番組を放送し続けることには大きな意味があると思う。
上述の文章は、今回書いたものではない。2011年3月17日のwebronzaの拙稿『批判より提言の時―混乱を責められるか』の一部を、ほぼそのままコピペしただけだ(削除した部分はあるが、「悲惨」を「悲観的」に修正した以外、追加した文章はない)。コロナウイルスによって社会が大混乱に陥っている現状は、まさに東日本大震災の際の状況と多くの共通点がある。特にテレビを通じて繰り返し流される情報・意見発信のあり方には既視感を禁じ得ない。まさに素人である私が、あえてこの件について書いてみたいと思った理由がそこにある。
例えば、
1月末に中国人入国全面拒否に踏み切るべきだった。ダイヤモンド・プリンセス号の乗客・乗員は全員下船させ隔離し、直ちに全員にPCR(Polymerase Chain Reaction)検査を実施すべきだった。陰性となった乗客を帰宅させた際には、公共交通機関を利用させず専用のバスで送り届けた上で、しばらく自宅待機を要請すべきだった
……などなど。
それらは実現可能性と波及効果の双方を考えて選択されるもので、その時点で波及効果を正しく予想することは不可能である。いずれにせよ批判が巻き起こることは避けられない。仮に自分が責任ある立場だったとして、状況が読みきれない状態で賛否が分かれる重要な決断を正しくできたとは思えない。テレビのワイドショーで毎日同じような批判を繰り返している人々も同じだろう。
テレビのワイドショーには例えば2時間というあらかじめ決まった時間枠がある。そのためであろうか、ただでさえ薄い内容をさらに水増しして時間を延ばして放送しているとしか思えない。通常時はそれでも良かろう。単に見なければ良いだけだ。しかし、現在のような状況下では、人々は最新の信頼できる情報を求めている。インターネットやSNSで根拠のない情報が氾濫し拡散しうる時代だからこそ、通常時の毒にも薬にもならずとも人々の興味を引くワイドショー的なトピックの取り扱いとは全く異なり、それなりの責任が求められるはずだ。
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