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「何が気候変動だ、気候危機が何だってんだ」

大学生は、愛猫の死と新型コロナの緊急事態をどう受け止めたか

宮﨑紗矢香 立教大学4年、Fridays For Future Tokyo

 2月4日。16年飼ってきた愛猫が死んだ。

愛猫を迎えてまもないころ(左が著者)拡大愛猫を迎えてまもないころ(左が著者)

 2度目の乳がんによる老衰だった。その日が来ることは、そう遠くないと感じていたが、あまりに突然だった。息絶えた小さな身体は、あっという間に冷たく硬くなっていた。このとき、私の中で明らかに、時間の流れが変わった。気候正義の名の下、一心不乱に闘ってきたはずが標的を一瞬で見失った。

 写真を見返せば、私が運動に身を投じていくほどに、愛猫の身体はがんにおかされ、痩せ細っていた。私がこの半年のうちに、手に入れたと思っていたものは、その過程で犠牲にしてきたものの代償だった。自分を形作る、かけがえのない存在を失ってまで、どうして未来の地球や、遠い国の森林火災に胸を痛めなければいけないのだろう。これまで自分がさんざん口にしてきた言葉が、全て自分に返ってきた気がした。

 「ボーッと生きてんじゃねーよ!」というプラカードを掲げ、「わかってるのにやらない大人が嫌だ」と怒り、「何のために生きてるんですか?」と刺すような問いを突きつけてきた自分を思い出し、後ろめたくなった。私は今、ただひたすらボーッと生きたいし、やるべきことを頭でわかっていてもできないし、何のために生きてるのかと問われて、返す言葉が見つからない。

 もうこれ以上、大いなる善はいらない。自分の生に身を任せたい。独りよがりになりたい。そう思った途端、せき止めていたかのように、あらゆる欲があふれ出した。肉食に食らいつき、ドライブに出かけ、あふれるぎりぎりまでお湯をためて湯船につかり、冷めれば何度でもおいだきした。スマホで動画を見ては充電を繰り返し、たとえ電力の無駄でもテレビはつけっ放しにした。

 愛猫の鳴き声が聞こえない、静まり返った家に一人でいることが耐えられなくなり、次第に、飛び恥だろうが何だろうが飛行機に乗って海外旅行に行きたいと思った。何が気候変動だ、気候危機が何だってんだ。自分のことだけに盲目になって、欲に溺れていたのもつかの間、今度は突如として発生した新型ウイルスに行く手を阻まれた。

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筆者

宮﨑紗矢香

宮﨑紗矢香(みやざき・さやか) 立教大学4年、Fridays For Future Tokyo

1997年生まれ。立教大学社会学部社会学科4年。大学1年次にボランティア「子ども食堂」に出会い、SDGs(持続可能な開発目標)を知り、大学3年の春休みにSDGs国際ランキング1位(2016~18年)のスウェーデン視察ツアーに参加。その後、就職活動で日本のSDGsウォッシュ(SDGsに配慮しているかのように見せかけること)にさいなまれていたとき、グレタ・トゥンベリさんを知り、Fridays For Future Tokyoに参加。4月から民間企業に就職。