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身寄りなきネコが問いかける「動物愛護法の矛盾と欠陥」

公害・感染症・生態系破壊の温床ともなり得るわが国の欠陥制度をめぐって

諸坂佐利 神奈川大学法学部准教授

 多くの人々にとってイヌやネコなどのペットは、「物」でも「おもちゃ」でもなく「家族」そのものである。かれらは飼い主によって守られているだけでなく、ペットに関する基本法である「動物の愛護及び管理に関する法律」(以下、「動物愛護法」という)に基づき、人(社会)を介して愛され保護される存在となる。一方で、ひとたび屋外に放置され、人々に健康被害をもたらしたり、農作物を荒らしたりして私たちの社会生活を脅かす存在となると、外来生物法や鳥獣保護管理法などに基づいて、駆除・根絶を目指す対象ともなる。ペットは人に愛され保護されるだけでなく、人(社会)によって適切に管理されるべき対象でもあるのだ。

 ところが現行の動物愛護法は、理念的、抽象的な規定のオンパレードで、どう保護し管理したらいいのかという具体性に欠け、愛護政策としての実効性(実現可能性と持続可能性)に乏しい。中でも決定的な欠陥は、定義規定の欠如と適用範囲の不明確性の2点であると、筆者は考えている。この2点は、動物愛護政策上も、また公害や感染症などの公衆衛生政策上も、さらには自然生態系保全政策上も、由々しき問題となっていることを以下に解説する。

法制度の曖昧さが生む飼い主の無責任

拡大動物愛護法の基本用語である「飼養」は、定義がないため意味が不明確だ

 およそペットを飼うとは、定期的に餌や水を与え、日々の健康や安全を見守り、時に一緒に戯れながら生活を共にすることをいうと思われるが、動物愛護法ではこの「飼う(=飼養)」という基本中の基本の用語に関する定義規定がない。さらに、「飼養」に似通った用語として「管理」や「保管」といった用語も随所に散見されるが、どういった文脈でこれらの用語を使い分けているか全くもって不明である。また同法では、「愛護」や「虐待」といった重要な言葉の定義規定もない。

 法の世界では、使用する用語の定義を明確にしておかないと、ある問題について解釈が人によってバラバラになってしまい、得てして自分に都合のよいように解釈してしまい、何らかの事件・事故とおぼしき事態が発生しても警察や行政が迅速かつ的確に対処できないといった問題につながる。

 「飼養」の定義が曖昧であることで生じる問題の一つが「放し飼い」の横行である。しかしながら飼い主がペットを屋外に放置する、あるいは屋内外を自由に行き来できるようにしている放し飼いは、そもそも「飼養」といえるのか。飼い主が適正に「管理」または「保管」しているといえるのか。


筆者

諸坂佐利

諸坂佐利(もろさか・さとし) 神奈川大学法学部准教授

1968生まれ。明治大学大学院修了後、筑波大、日本大などの非常勤講師を経て現職。イリオモテヤマネコの保全に向けた条例制定に携わって以降、希少種保全、外来種対策、動物園・水族館政策に関して、法解釈学、法政策学的観点から研究。公益社団法人日本動物園水族館協会顧問。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです